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「ヨコビ の“かお”」第十回 「株式会社ピア・フォー(PIER4)」飯田佳奈子さん

皆さまこんにちは!私達は22年目を迎えたクラフトビールメーカー「横浜ビール」です。地域と人を大切に「街のビール屋」として沢山のワクワクを届ける事を目指しています。これまで「横浜ビール」が取り組んできた活動の軸には「人を伝える」という事があります。

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私達の中には、こだわりのビールを醸造するブルワーや、地産にこだわったお食事と新鮮なビールをお届けする直営レストランのスタッフなど多くの人が携わっています。noteでは「横浜ビール」を語る上で欠かせない大切な一杯の先にいる「ヨコビの“かお”」をご紹介します。第十回目は「株式会社ピア・フォー(PIER4)」飯田佳奈子さんです。

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「屋形船 ピア・フォー」

日本の開港の玄関口として、貿易や異国との文化交流が盛んに行われてきた横浜。日本で最初のビール醸造所が誕生したのもこの街でした。

「株式会社ピア・フォー」は、屋形船を通して、景色やお食事を楽しむ事が出来る多様なサービスを提供しています。屋形船からは、下から覗くベイブリッジ、横浜みなとみらいの景色など横浜ならではの景観と共に、四季折々を楽しむ事が出来るのです。見慣れた景色も船から見ると非日常的なものに変わり、大切な時間を過ごす事が出来ます。

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「株式会社ピア・フォー」代表の飯田佳奈子さんは、横浜で生まれ育った創業者であり、御本人の父親 飯田三樹さんの会社を受け継ぎ会社の理念である

『「漁師町で仕込んだ料理を囲み、洋上で取る食事。陸上から離れ、日常とは違う空間で、自分を見つめる大切な時間。 仲間たちとの幸せな輪。」 を届け、それぞれの明日への希望や夢を繋ぐこと。』

を守り続け、沢山の方々に笑顔を届けてきました。

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「ピア・フォー」の社名は、3つの埠頭(ピア)という船を横づけにし、旅客の乗り降りや荷物の積み卸しをする場所から形成されている横浜にとって、4番目の埠頭となるという想いが込められているのだそう。

「ピアフォー」には、掘りごたつ式の「老舗屋形船 うら嶋」、屋上で景色を堪能できる「星空屋形船 スターダスト」と3隻の船があります。

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1989年に父親の飯田三樹さんが、横浜港開港130周年を記念して開催された「横浜博覧会」でのお仕事を終えた頃に「株式会社ピア・フォー」は設立されました。

「父は横浜港を盛り上げる為に何が出来るのかについて長らく調べていて。横浜は夜景も綺麗だからって屋形船を始めようと決めたみたい。他にはこの辺の地域は昔、漁師しか働き口が無かったから、漁師に就けない人にもって考えていたらしいの。漁師町だから食事も地元の食材を使って提供出来るからね。」

と飯田さん。

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大学生の頃から屋形船の手伝いをされていた飯田さんは、大学卒業後「株式会社ピア・フォー」へ入社。2009年父親の飯田三樹さんがご逝去された後に、代表として会社を受け継ぎます。

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屋形船で提供されているお料理に「横浜醤油」や「岩井のごま油」など地元の名産品を起用する事、乗船料を全額寄付し震災復興支援に寄与する事を目的とした「チャリティークルーズ」、児童養護施設の子ども達を招待し、クリスマス会の開催。横浜という街と、街に暮らす人々への思いやりは創業された当初から変わらずにあります。

「今は宴会が出来ないので他の方法で楽しんで貰えるよう考えていますよ。先代の父親が心筋梗塞で急死した時期が人生で一番大変だった。だから今はこういう状況になっても、その頃に比べたら大丈夫だと思えるの。」

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カラッとした笑顔で語る飯田さんに、聞き手の私達も勇気付けられます。地元の横浜が大好きだと言う飯田さんは、ご当地検定「横浜ライセンス」一級の持ち主である事や、プロバスケットボールチーム「横浜ビー・コルセアーズ」を応援しているなど沢山の横浜愛についてお話頂きました。

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街のビールを飲んで防災

「横浜ビール」と飯田さんとの出会いは、アナゴがきっかけでした。父親の飯田三樹さんがご逝去される前、横浜のアナゴを屋形船で提供出来ないかと考えていたそうで、それを知った飯田さんが代表になった後、その話を進める中で「横浜ビール」との出会いがありました。

現在、屋形船上での飲食提供はされていませんが以前は「横浜ビール」お料理と一緒にご提供頂いていました。そして現在、防災という観点で「株式会社ピア・フォー」と「横浜ビール」は新たな繋がりが生まれています。

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「震災、台風の影響を受けた時に、高潮の影響を受けて苦労した事があって。土木事務所が来て土嚢を置いてくれたの。それから防災意識を持つようになって、高潮対策を本格的に始めようと決めたのが最初。昨年に土嚢を入れる袋を探していたら、“モルト袋は丈夫だから良いかもしれない”と知り合いから提案を受けて、モルト袋を提供してもらうようになったんだ。自分の街のビールを飲んで防災にも繋がる。SNSにアップすれば誰かの防災意識にも繋がるかもしれないと思って発信もしているよ。」

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と経緯を教えて頂きました。定期的に提供されたモルト袋は、近隣のブルワリーからも提供されているそうでずらりと並ぶと何だか格好良く映ります。地元を愛して止まない飯田さんは「株式会社ピア・フォー」の顔として沢山の笑顔を人々へ届けているのです。

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株式会社ピア・フォー
所在地:神奈川県横浜市神奈川区浦島町380番地
電話:045-441-0404
HP:http://www.yakatabune.jp/

執筆、撮影:工藤 葵 (写真家)

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