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旅行エッセイ【夜光の船旅】⑦大阪のスポーツ面

 まさか長髪論争が未だに続いているとは。
「論争」というのは甲子園高校野球のことですね。いつか私の父親(1934年生、奈良県唯一の慶応進学)が「あのな、高校野球見に行って慶応高校が帽子とったらみんな長髪やねん、びっくりしたわ」といってきて、「ふーん、そうなんや」と思っていたが2023年に慶応がベストフォー進出して、議論が沸騰するのにびっくりした。
 これって勝負ついたんじゃないのか。この議論にって慶応の圧勝だろ。

 これには伏線があって、ある丸坊主のチームの主将が負けた時に「野球は遊びじゃないんだ」といったら、慶応のキャプテン「遊びだ!」と言い返したという逸話があるから。これは新聞に載ったのを見たし、事実でないにしても、この考えを慶応で否定する人はいない。

 そもそも丸坊主って罰だよね。親族でバレーボールチームにいたものがいたが用具をなくして全員坊主にさせられていた。自分の望んだ通りの生き方をしてはいけない時点で間違い100点満点だろう。
 
 野球、というかスポーツはどうすれば良くなるか考える知的作業。正解のある「勉強」は大学受験で終わりですね。それ以降は正解のない「研究」がどれだけできるか、が人生を分けます。
 慶応はスポーツをかなり重視していますが、それは「研究」、つまり生ききる力に直結しているから。
 「自分だけがなんでモテないのか」「なぜ私だけにイジワルをするのか」。考えると対策も浮かぶでしょう。ノウハウはすべての人に平等ではないです。
 言いたくないですが、その過程で自分の親や学校から受けた教育の間違いに気がついて、子供を守ろうとするようになるでしょう。

 そもそも野球をやる「から」勉強してはいけないというルールはないですよ。
 ご父兄も責任があります。子どもの興味にストップをかけないでください。
 大学入学まで外国語とか他の学問にストップかけられるのってどうかな。
 それにそれだと大学で交換留学にも選ばれないし……遅いかな。

 スポーツをやっているお子さんは正解のある「勉強」への集中力もすごいし、それ以上に正解のない「研究」に取り組む生命力はあります。
 スポーツを「勉強のじゃま」という考えはおかしい。そりゃじゃまでしょうよ。「正解」を覚えるじゃまなんだから。

 でもね、勉強に頼るのって「勉強以外わき目を振ったものが負け」という、東大を頂点とする人を不幸にするシステムですよね。それを慶応義塾が世間の批判を承知しながら、不幸な子供を救おうとしているのです。
 変な旧態依然の考えに戻さないでください。

 人間は、スポーツでも勉強でも好きなことをしていいんです。
 人の人生に点数をつけたり、文句をいうヒマがあるんだったら、自分の人生を生きようよ。

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