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お裾分けの循環と恩送り

昭和のお祖父ちゃんお祖母ちゃんの家のような田畑と里山が近くにある田舎の実家で過ごしていると、日常に自然の恵の循環が起こっている。

都会に住んでいると基本的に何か欲しいものがある時にはお金を払っていて。何かいただく時、お土産とか、贈り物とか、ご馳走になるようなそういう場合はお金を払うことはないのだけれど。

昔から同じ土地にずっと住んでいる田舎の実家で過ごしていると、季節の移り変わりとともに「○○がたくさん取れたから親戚の○○さんに持って行ってこよう」とか「○○さんがこれが余ってるからと持ってきてくれたよ」とか、お裾分けの交換会みたいなことがよく起こる。
「○○さんに○○あげようと思って持って行ったら、これお返しに貰っちゃった」なんてこともしばしばある。

最近の我が家では裏山で採れた筍を近所の親戚にお裾分けであげたら、代わりに我が家では作っていない野菜になって戻ってきたり。

もっぱら最近の家での話題は、同時に大量に採れてしまう筍をどうするか、ということ。人数の少ない家族だけでは食べきれないし、そのまま捨ててしまうのも勿体無いし、食べたいという方にお裾分けしてあげたいなぁ、と。となると、割と短時間で車で持って行くことができるそれなりのご近所さん(田舎だと意外と遠いところも含まれたりするど)に「お裾分けしようか」なんて会話になってくる。


これが、季節が変わるとお裾分けするものが変わるのだけど、基本的にお裾分けしたりしてもらったりの関係性は大きくは変化せず。
だからといって「あの人にもらったからすぐに何かお返ししなきゃ!」ではなく、「いつ頃にはこれができるから今度持って行ってあげようか」ぐらいのゆるーい感じで、やり取りをしている。相手も多分、何かお返しを期待しているわけでもないし、こちらもお裾分けしたからといって、何かもらうことを期待しているわけでもない。

緩やかにつながっていて、自分が満たされているから、必要以上にあるものは必要そうな人にお裾分けしようか、そんな感覚。


これってよく言われる「与える人でありなさい」という中の「GIVE」なんだよなぁ、と。
見返りを求めない、なんて表現するとすごく崇高なことをしているように聞こえたりもするのだけど、「たくさんあって余っちゃうからその分は誰か欲しい人に」という余ったものをお裾分けしているだけ。
自分が満たされていないと「GIVE」は続かないよね、って本当にそういうことなんだと思う。それが精神的なものだけではなく物理的なものだとしても。

無理して与え続けていると、自分が枯渇しちゃうもの。
余裕がある時に手渡していくと、自分が余裕がない時に誰かが手渡してくれる。そこには時間差があるかもしれないけど、その相手から何かを返して欲しくて手渡しているわけではないから、それが巡り巡って帰ってくることもあるんだよねぇと。
手渡してもらった人は、「そういえば、あの人にあの時○○を貰ったから、これを持って行ってあげようか」そんな緩やかな感じなんだと思う。



そしてちょっと話は変わるのだけど。
私が30代の頃の上司に「ここは俺が払うわー」と言われて、「いえいえ、払いますよ!」と私がいった時に「お前が上司になった時に、俺にじゃなくて同じように部下にしてやれ」と言われたことを今でも覚えている。


それから数年して。
頑張って働いて、それなりに収入を得られるようになって。
大盤振る舞いできるほどではないけど、少し余裕ができてからは、後輩にご馳走したり出張で買ってきたお土産の差し入れをしたり、本当に気持ちばかりではあるのだけれどそうするようにしてきた。

それは、単純に奢ってもらう奢ってあげるだけのことではなくて。
今なら一緒に同じ方向を向いて大変な時にも頑張ってくれる仲間に感謝を込めてだったり、激励だったり、そういう意味も込めて、きっと当時の上司もしてくれたのだろうし、私もそれをしていきたいなぁと思ったから、だ。

そして、モノだけではなくて何か困った時にアドバイスをくれたり、トラブルが発生した時に代わりに対応してもらったり。
仕事なんだから、上司なんだから、当たり前のことかもしれないけれど。当時はそんなことも考えられないぐらいに若かったけれども。
今思えば、本当に助けてもらったり学ばせてもらったりして、そのおかげで今の私がいるからこそ、同じように次の世代に渡していけたら、後輩に伝えていけたら、そんなことも思うようになった。

だから。
恩返しではなく、恩送りしていくことが、きっと一番喜んでくれるんだろうなぁと勝手に思いながらすることにしている。


人の善意が循環していったら。
人の好意が巡っていったら。
平和な世の中になるはずなんだけどなぁ、と。
綺麗事かもしれないけれども、その綺麗事を諦めたくもない、そんなことを母が裏山から採ってきた筍を見てふと思ったのでした。



いつの間にか勝手口の外に置かれていた筍


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