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未消化な感情の記憶

昨日の記事の中に書いた「未消化だった感情の記憶が鮮明に残るのではないか」ということについて。

父が亡くなる前の数ヶ月の間、時々子供の時や若かった時の意識に戻っていることがありました。

ある時、「僕はお父さんのことを尊敬しているけれど、お父さんは僕のことをどう思っているだろう?失望しているのではないか。」と私に向かって言ったことがありました。

現在形で言っていたので、きっと人生のどこかの時点に意識が戻っていたのではないかと思います。

私は「大丈夫だよ。きっと誇りに思っているよ。」確かそんな風に答えたと思いますが、父は「そうか」と安心したようでした。

招集令状が来た時の事も、当時は本当のことは言えなかった心の内を語っていたこともありました。

母は、子供の時に親の言いつけでさせられていたことが、本当は嫌でたまらなかったことを、まるでつい最近の出来事のように詳細に語っていたことがありました。

「嫌だったけど、嫌と言えなかった。」と言っていました。

他にも色々、あの時本当はこう思っていた…という話がありました。

その時々に解消できなかったこと、言えなかったことって、普段は忘れているようでも、意識の深い所には残っているものなのかもしれません。

それが、年老いて顕在意識の力がある意味弱まった時に、潜在意識から表層に浮上してくるのかもしれないな…と、推測ですけれど思っています。

そうだとしたら、言いたいこと、聞いておきたいことは、その時々にしておいた方が良さそうですね。

「やりたい事はその日のうちにやりましょう」とよく言われますけれど、毎日その日その日に未消化の感情を残さないで生きるという意味でもあって、それが思い残すことが無いということでもあるかもしれません。


今日も良い一日になりますように。😊✨


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