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古びた作文用紙が開いた記憶の扉

昨年末の大掃除の時に、天袋にしまってあった紙の菓子箱を下ろして中を見てみました。

「何をしまってあったんだっけ…❓」

多分、30年くらい前にしまってそのままの箱。

中からたくさんの手紙が出てきました。

高校、大学時代に文通していた海外のペンパルからの手紙がたくさん。文通とかペンパルという言葉の響きが懐かしい。😊📮

そして、手紙の束に混じって出てきた2枚の古びた作文用紙。

小学5年生の時の運動会のことを書いた作文でした。

あんまり上手ではない字で、一生懸命に書いた作文。

そこには、走るのが遅い私が徒競走で2等になった嬉しさが綴られていて、当時の家族の姿が書いてありました。

2等でゴールインした私は、「お父さんとお母さんが見ていてくれたかな?家に帰ったら話をしよう。」と両親のことを考えています。

やっぱり子どもは、最初に親に褒めてもらいたいんだな。

その部分に先生が赤ペンで丸をつけてくれています。💮

その日、帰宅してからの家族との会話。

「わたしが『3年生の時は4等、4年生で3等、今年が2等だったよ。』と言ったら、お父さんが『じゃあ、来年は1等しょうだな』と言ってわらいました。」

えっ、父とこんな会話をしていたんだ。😲❗️

すっかり忘れていました。

少なくとも、30年ほど前にこの作文を天袋にしまっていたのだから、その時に読んでいたはずなのに、全く記憶にありませんでした。

私は子どもの頃の父との会話の記憶があまりなくて、父親とは関係性が薄かったとずっと感じていました。

父は14年前、既に他界しています。

でも、子どもの頃にこんな風に普通の会話があったんだ…と、ちょっとびっくり。

そのことを電話で妹に話しました。

こんなことが話題になるくらい、私も妹も、子どもの時から父とは会話が無かったと思っていたわけです。

そして、二人で父との思い出話が始まりました。

妹は私より更に父との会話が少なかった…と常々言っています。

ほとんど父との会話の記憶がないそうです。

妹が「でも、いつだったか、駅前の喫茶店でクリームソーダを飲ませてもらった記憶はある。」

私もそこにいたと言います。私は全くその記憶はありません。

「そんなことあったっけな〜❓」🤔

そのうち、「一回だけじゃなくて、何回かあったような気がする」…と妹。

それから妹は「公園のベンチにお父さんと並んで座っている場面が浮かんできた」と。

一緒に柴犬のチロと散歩に行った時のことなのかな…❓🐕

私はと言えば、姉と一緒に、父の行きつけの近所のスナックのような所に連れて行かれた記憶が甦って来ました。

スナックのママさんとカウンターにいる父がこっちを見ながらおしゃべりしていて、私と姉は2人で何かで遊んでいたような場面…❓

知らない人に見られている恥ずかしい気持ちが、微かに感じられます。

そして、母から聞かされていた話が思い出されます。

姉が生まれるまで、子どもは欲しがっていなかった父。

誕生から数ヶ月経ってから可愛く思うようになったらしく、赤ちゃんの姉を抱っこして、ふらっと人に見せに連れ出すようになったとか…。

ならば、あの時、父は姉と私をスナックのママさんに見せたくて連れて行ったのだろうか…❓

本人いないので、今となってはわかりません。

そして…

多分小学生の時、自転車のタイヤに空気を入れようとしていたのだけれど、力が足りなくてなかなか入らないと騒いでいた私たち姉妹3人。

すると父が出てきて、シュッシュッシュッシュッと、数回でタイヤをパンパンにしてくれたこと。

「お父さんってすごい!」と思った…ような気がします。

更に、読書家の父が、月に一回くらい、私たち娘3人を連れて本屋に行き、ひとりに一冊ずつ本を買ってくれたこと。

これははっきりと記憶があります。

でも、2歳違いの妹は全く覚えていません。

「そんなことあったの⁉️」😲

会話がなかったはずの父にしてもらったことが次々と思い出され、「なんだか、私たち、随分と可愛がられていたみたいだね」となったのでした。

どうやら、私が中学生の頃から父娘の会話がなくなったようで、それは、大人の事情…母と姑との間の問題が原因だったのかもね、となりました。

人の記憶とは当てにならないものです。

してもらえなかった事ばかり覚えているものだ…と聞いてはいますが、まさにその通りでした。

古びた二枚の作文用紙によって、父親との関係性が薄い子ども時代を持つYOKOから、父親に可愛がられていた子ども時代を持つYOKOへとパラレルシフトした出来事でした。

先月、妹と二人で父のお墓参りに行ってきました。

「お父さんには何かしてもらった記憶がない」とよく言っていた妹の発案でした。

多分、父は「やっと思い出してくれたか…😓」と胸を撫で下ろしていたことと思います。

父が生きているうちに「ありがとう」を言えなかったのは、ちょっと残念。

もし言っていたら、あまり感情を表に出さなかった父はどんな顔をしていたでしょう。




さて、3月になりました。花壇は既に春です。


♪YOKOは作曲活動もしています♪

オリジナル曲 Beautiful

この楽曲は、こちらのオリジナルアルバムに収録されています。

アルバム紹介のトレイラーです。


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