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2018年1月の記事一覧

旗をかかげる ということ

クリタオサムです。 前回の記事、見ていただいた方ありがとうございます。「この世のどこかで誰かが、僕のことを気にかけてくれている」と思うと何だかとっても力が湧いてきます。同時にぼくも、誰かにとってそういう存在でありたいと思います。 何かを書きはじめたいと思った時に、テーマみたいなものを自分なりに決めて書きだそうと思いました。それも中々出てこず、悶々としたわけですが。。そんなある日に、実家の倉庫を整理していたら母の蔵書の中の一冊が目に止まりました。 花森安治さんのエッセー集

「選ばなかったもの」に想いを馳せる

「選ぶ」ことは、いつだって難しいな、と思う。 進学や就職、結婚、出産、といった「大きな選択」にはじまり、毎日何をしようか、何を食べようかといった「小さな選択」まで、あたりまえだけれど人生は、選択の連続、でできている。 何かを選ぶということは、すなわち何かを選ばないということ。何かを選びながら生きるということは、すなわち何かを捨てながら生きる、ということ。 そして、その「選ばなかったもの」に対してあーだこーだと言うことは、なんとなく、イケていないことだと思っていた。その「

愛にあふれている人

人はいくつも分人を持っている多面的な生き物だけれど、本当の心の奥底にある「本音」はひとつなのだ、と思う。 それは大げさにいえば「信念」のようなもので、その人が何を大切にして生きているか、どういう世界観を持っているのか、など、そういったようなことだ。 そしてその「信念」は、意図せずともその人が紡ぐ言葉に滲み出る。その人が書く文章をたくさん読めば読むほどに、まるで最大公約数のように、その人が大切にしていることがくっきりと浮き出てくる。 ああ、この作家さんは優しさを持つ人なん

祖母とわたしの、ひみつの会話。

2018年1月1日、元日。 大抵の人が特別だと感じる、年に一度のこの日を、いつもと変わらない日常として過ごしている、隣りに居るこの人がたまらなく好きだ。 * 隣りに居るのはわたしの祖母。 あだ名はふさちゃん、83歳。 わたしがカナダで生活をしていた時には、母はもう自宅と祖母宅を行ったり来たりする生活をしていたから、介護が必要になってから6年以上が経つ。 認知症も進み、ここ数年はわたしのことも孫として認識していない。 だからこうやってお正月や休日に会いにくると、一日に

「つかれた」も「不機嫌」も、すべて言葉で説明する

あちこちで仕事をしていると、「忙しいでしょう」「大変でしょう」とよく言われる。 大抵は真実がどうであれ「そんなことないですよ~!」と明るく答えるのだけど、まぁ時にはしんどいときもある。 特に親しい友人や自然体で付き合っている人たちの前では包み隠さず疲れているので、もはや「疲れてるねぇ」と質問系ではなく確定系で言われることも多い。 さらに私は疲れると口数が少なくなってわがままを言うタイプなので、しんどいときは先に「今日は疲れているので輪をかけて自己中です」と宣言するように