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写真への葛藤~表現に正解はない

小さい頃から自由に想像し、好き勝手に絵や文を描くのが大好きだった。
本や雑誌からしか情報がなかった当時。

お絵描き上手な従妹に描いてもらったイラストを大事に持っていた。
従妹は本当に上手で、私の父を描いてもらったら、大仏様のような顔ですごく面白い絵。父のヘアスタイルの特徴をよく掴んでいてうまい!(笑)
いつか私も上手になりたいな~という憧れを抱きつつ、ひたすら女の子の顔と服のデザインを描いていた。
親に漫画の描き方の本を買ってもらい、表現方法の情報を得ていた。
描いた絵は祖父や祖母に見せていた。
家に親戚が来た時に祖父が「これはyokoが描いたんだよ。上手だろう?」とちょっぴり自慢していたのが、嬉しかった。

趣味で写真を撮り始めて5年弱、職業にして10年、計15年。
私は写真とは何か?がわからなくなってしまった。
誰でも簡単に写真が撮れる時代になり、自信を無くしてしまった。

最初にカメラを手にしたときのように、自由に楽しく撮る、楽しむことを忘れ、依頼された仕事をこなすことに必死になっていた。
写真の仕事に一生懸命になるあまり、自分の個性を活かした作品を全然撮っていなかったのだ。
商品撮影に集中しすぎて大切な私の個性を消してしまった。

今、写真はスマホで誰でも上手く撮ることができる時代。
SNSに投稿する写真ならば、特別な知識は全くいらない。
写真の知識が必要な時は、悪天候の時、最悪なコンディションの時、夜間の撮影や、きちんとした写真の仕事の時だけ。

私の存在意義はいったい何だろう?
名曲・名作絵画を観たときのように、琴線に触れる一枚を撮れないだろうか?

そんな下心が、大好きな写真をいつの間にか自分を苦しめる存在に。
苦しかった。

私はこのブログを始める前に、自己分析を徹底的に行った。
自分の本当にやりたいことを見つけるために。
残りの人生をより素敵な毎日へと変化させる為に。

学生時代に就職活動した時はサボってやらなかった自己分析をいま、この年齢で初めて行った。

最初はネット情報を参考に自己流で自己分析を行ったら、悲しかった事や苦しい事ばかりを思い出してしまい、無理だった。苦しくなってしまって。
自己分析の指南書を購入し、3ヵ月以上かけて自己分析をしたら、自分が本当に望んでいたこと、やりたいこと、好きなことや得意がはっきりとして心が晴れた。
大荒れの冬の景色が穏やかな春のある一日へ変化するように。

私の心が変わった。

「撮ること」「光」に拘らなければいいのではないか?
写真だけではなく、絵を描いたり美術館へ行くなどなにか他のことをして楽しめばいいのではないか?

手を動かし、美しいものを観て感性を磨く。
流行りの音楽を聴き、10代の気持ちに戻る。
文章を書く。
写真の言語化。
文字を絵に表現。
絵を文章化。

自由に表現することが楽しい!

「義務になると嫌いになる」
「楽しむことが何より大切」
なにげなく見ていたテレビで、とある方が言っていた言葉。

まさにその通りだと感じた。
私は好きではない撮影の仕事ばかりをしてしまって、一時期本当に撮ることが嫌いになってしまった。

私はただ「きれいに写真を撮ること」に飽きた。
今は自分の個性を全面に出し、さまざまな方法で表現することが心から楽しい。

夢中になって紙に絵を描いていたあの頃の私のように。







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