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【2日目のカレーが美味しいのに】Vol.1

障害のある人を育てている親は少なからず「自分が死んだ後の彼らの生き方」を考えている。
今ある福祉の制度を使って、彼らが心配なく生きて行けるように。

私もそう思っていた。

親亡き後、この家に姉妹で暮らすことはあまり現実的でない。次女の生き方を尊重することで、長女の人生に大きな負担と不自由を負わせることはしたくない。

となると、施設入居、グループホーム、ヘルパー制度を利用した一人暮らしか。なぜか私はこれらの制度を利用した住まいに乗り気になれない。次女がそこで暮らしている様子が浮かばないのだ。ぼんやりと考えながらもこのことについて深く考えることはずっと後回しにしていた。

しかし次女も21歳。8050問題という年老いた親と障害のある人との同居問題がニュースでも時々挙がることも気になる。さすがに後回しにはできないなと思い、入居先の検討としてグループホームや大きな施設を見学してみた。

「どう?色んな人と一緒に住むから楽しそうだよね。」と尋ねる。しかし、次女はどの施設に行っても「うーん・・・」と良い返事は出てこない。

「おうちに居たらダメなの?」と反対に尋ねられる。今住んでいる家に住み続けることで彼女が背負う責任内容を説明せねばならない。なかなか難しいが話してみる。

「あーちゃん(長女)は?あーちゃんと一緒に住むのは?」と言う。

「あーちゃんはもしかしたら海外に行くかもしれないし、この家じゃない所に住むかもしれない。今も一人暮らししてるでしょ。そんな感じでこの家に住むかどうかはわからないよ。」と伝えるとそれは理解したよう。

そして彼女はこう言った。

「私ね。ごはんが給食みたいだったのがイヤだった。」

一瞬返答に困る。ん?メニューの話?ここにきてご飯の内容?

「決まったご飯を食べるのが嫌だった。自分で作ったりしたいし、時々お弁当とか買って食べたい。」

あぁぁぁあ!!それだ!私がモヤっととしていた何となく乗り気になれない理由はそれだ。誰かに管理されていることへの安心感よりも窮屈な不自由さの方が勝っているのだ。

「そうだよね。ここに入ったら2日目のカレーライスとかカレーうどんは食べられない、ってことになるね。」と話すと次女は「えぇ!2日目のカレーが美味しいのに。」と絶望的な顔をする。

そして大きな事実に気が付く。

私が彼女に「どう?」と聞いてみたり「楽しそうじゃない?」と言っているのは全て私自身のためだ。自分が落ち着き安心するために彼女に聞いている。そして彼女に私を安心させてくれる答えを言ってもらうことを期待している。
「あなたのために」と言いながら、私の安心感のために彼女の人生を動かそうとしている。子育てを一丁あがりにしようとしている。その違和感だ。

次女は成長していた。(自立をしたい。でも住むところはココじゃない。でも他のアイデアがないのよ。)

あぁ、そういうことか!
次女は意思や気持ちを表出することが割とできるタイプなので、このように私も気が付くことができる。
この違和感はなんだ。次女を育てていて何度も味わうこの「違和感」。
これは「選択肢が少ない」時に出てくる。彼らの住み方に選択肢が少なすぎるのだ。

自分で自分の人生を創る。そのサポートなら親の私は大賛成だ。

※誤解の無いように書いておくが、私は上記の住まいのシステムがダメだ、と言っているわけではない。これらの住まいがとても良い人もいる。そして、その施設我が子を住むように手続きをした親御さんを責めているわけでもない。私の娘はここは違うと感じたことから私が感じたことを書いている。


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