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「忙しい」は、なくせる

社会人は、とにかく忙しいです。

電通の痛ましい事件で広く知られるようになりましたが、特に広告代理店はなかなかにハードワークです。私の会社は中堅代理店なので、大手と比べたらまだよいかもしれませんが、それでもやはり、忙しいです。
私はもう年の功で手を抜くところは抜いているのですが、若手は思いっきり巻き込まれて、毎日22時、毎週末出勤、と目の回る忙しさの中にいます。

私も若いころは忙しかったです。次から次へ仕事が降ってきて、やるべきことがちっともなくならず、一週間に2,3回問題勃発して仕事を止めて対応に追われて、結果仕事が遅れてまた別の問題勃発…。

帰りはいつも深夜。人通りも車もまばらになった道で、灯りの消えたビルを見上げながら、
「ここは海底みたいだ…」
と、絶望に似た気持ちで家路をたどったことを思い出します。

そして家に着くと、会社から無茶ぶりのメール。今思うと大した内容ではないのですが、追い詰められていたのでしょうか。思わず涙がこぼれたり、携帯を投げたりしたことも、一度や二度ではありません。

20代半ばから30代半ばまで、そんなふうに過ごしていました。

毎日忙しいので、仕事のあと友達と会うこともできません。すべてのお誘いに、「仕事次第で行けないかも」とつけて返すのが当たり前。ドタキャン、ドタ参日常茶飯事。1時間遅れで合流できればいい方でした。

「忙しい」は心を亡くすと書きますが、当時の私は、人の誘いをそんなふうに扱ってもなんとも思わないほど、心が死んでいました。

そんな生活に心から嫌気がさしたある日、私は一人働き方改革をはじめ、むりやりでも早く帰るようにしました。

22時帰りを少しずつ短くしていき、半年後には21時には帰るようになりました。仕事を整理したり、効率化したり、早めに段取りしたりすると、手戻りが減っていくのです。
そして一人で、「早く帰りな!」と周りの人に言い始めました。みなさんを内心面倒がらせていたかもしれませんが、若い子たちに同じような思いをさせたくなかったのです。
人に言うと、自分はもっとやらねばとアクセルがかかり、1年後には19時退社が基本になりました。

そうやって残業削減してみて、気づいたことがあります。

「忙しい」は、感情です。状態ではありません。
「忙しい」と「仕事が多い」はイコールではありません。「仕事が多い」は物理的な状況です。仕事が多くても、忙しいと感じる人と感じない人がいます。
どんな状況にあっても、心が忙しい人はいつでも忙しいのです。仕事を減らしても関係ありません。今やらずともよい仕事、まだ起こっていない先の仕事、起こるかもしれない問題などで心をいっぱいにして、常に追われているのです。

「忙しい」と感じてしまう理由はいくつかに分類できます。そして、分類できれば対処法があります。

「仕事の量が多い」
→やることと優先順位を決めて、コツコツ終わらせる。

「イレギュラーな仕事がどんどん入ってくる」
→備えはしつつ、目の前のことをコツコツ終わらせる。

「上司やクライアントに振り回される」
→割りきって流してやるべきことをコツコツ終わらせる。
でも過剰に我慢せず、チャンスがあれば離れられるよう、
味方を作っておく。

「自分のスキル不足で時間がかかる」
→勉強!ググる!そして遠慮なく周りに助けてもらう。
まずは今のスキルでできることをコツコツ終わらせる。

「とにかくせわしなくて心が休まらない」
→「忙しい」という感情にのまれている。
まずは人のいないところに行き、10回深呼吸。
みんなが働いている日にお休み(午後半休)を取り、映画に行く。
年に一度は遠出をする。「何もしない」をする。
心がやすまったら、できることをコツコツ終わらせる。

結局、「できることをコツコツ終わらせることに集中」していけば、仕事はそのうち終わるのです。「忙しい」という感情は、今できることに集中することを妨げる、無駄なエネルギーです。「やらなきゃ!でも時間がない!」という焦りが重しになって、行動を遅くさせるのです。

「今ここに集中する」
仏教でいうところの、「而今」で仕事をしていけばいいのだと思います。
それがけっこう、難しいのですが。過去の後悔や未来の心配や。

働くとは是、修行なり。
金曜日。修行疲れを癒しに、而今でも飲みに行ってきます!

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