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親とか介護とか難病とか

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#これからの家族のかたち

母の「何かあった時」のノートに書いてあったこと②〜心を軽くしてくれた〝手紙〟〜

母の「何かあった時」のノートに書いてあったこと②〜心を軽くしてくれた〝手紙〟〜

続きです。

続き。

「何かあった時」

そう書かれたノートを1年ほど前に母から預かった。
エンディングノートのようなものだった。

その中に美しい詩が書かれていた。

2015年6月13日

母が62歳の誕生日を迎えた翌日に書かれたものだ。

母がこの詩を書いた時、まだ病気は発症していないと思われる。

それから7年、まるで予測していたかのように彼女はこの詩のとおりに
今までと違う姿になった。

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誕生日に「おめでとう」と言うことを忘れた母が伝えたかったこと。

誕生日に「おめでとう」と言うことを忘れた母が伝えたかったこと。

誕生日の朝、母からの着信。

〝あ、まだ、覚えてたのかな。。〟

少しだけ嬉しくなった。
日々、認知が進む母、
この電話も全く関係のない電話だったら
虚しいな。

自分の誕生日に親から電話があっても
この電話がお祝いの電話かどうか確信が持てない。

これが今の私の現実だ。

やっと紡ぎ出す母の言葉から
「おめでとう」と言ってくれるのを
ゆっくり待つ。

「あのー、ね、あ、の、ねぇ〜。
お母さん、お

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親を介護施設に入れるのはかわいそうなのか? 自分の気持ちだけ見つめてみると。

親を介護施設に入れるのはかわいそうなのか? 自分の気持ちだけ見つめてみると。

「お母さん一人で頑張ってきたんだから」

何度も何度も耳にしたこのセリフ。
その言葉がいつも側にあり、在宅介護を選択してきた。

父と母は私が3歳の時に離婚した。
自宅で学習塾をやっていた母は、
塾を続けながら、生命保険の営業レディになった。

母は頭がよかった。
さっぱりした性格で、信頼も厚かった。

当時、フルタイムで働く母親は珍しく、
いわゆるバリキャリだったと思う。

そんな母が難病になり

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