名刀(めいとう)宗三左文字(そうざさもんじ)と信長(のぶなが) (全1回)


 
5月19日限定 1回 
 
永禄(えいろく)3年(1560年)の5月19日。今日はあの有名な桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)があった日。たった2千人の家来しかいなかった織田信長(おだのぶなが)が5千人を引き連れていた今川義元(いまがわよしもと)を倒した日だね。 
この時、信長は宝物を手にいれたんだ。そのお話しだよ。 
 
ポンと昔。今から500年くらい昔の戦国時代のことだよ。永禄3年(1560年)の5月19日のことだ。尾張の国の清須城(きよすじょう)にいた織田信長はいよいよ今川軍との戦いの始まるこの日の朝、お得意の幸若舞敦盛(こうわかまいあつもり)を舞った。その後すぐに出陣の準備を済ませると朝日も昇らないうちに、たった2千人の家来とで南へと出発していったんだ。最初に熱田神宮(あつたじゅんぐう)で戦勝祈願をした。戦勝祈願ってのはね、どうぞこの戦いに勝てますようにとお祈りすることをいうんだ。でね、さらに進んでいくと信長は旗の先に白鷺が2羽飛んでいるのを見つけた。 
「見よ、あれは神の使いよ。熱田大明神(あつただいみょうじん)が擁護(ようご)してくださるぞ。確かに助けに来てくださるぞ」 
と大声で言った。そう言って自分を元気にさせたんだ。 
 
信長は運が良かった。白鷺が幸運を運んできたんだね。今川軍はこの日の朝方に織田軍の鷲頭砦(わしずとりで)と丸根砦(まるねとりで)を落としたからといって、そのお祝いのパーティーを早々とお昼のごはん時にしていたんだ。そして、午後からは雨が降って大風も吹いてきた。 
「天は我に味方した!」 
信長はこう言って一気に今川義元を討ち取ったんだね。 
 
信長はこの戦いで立派な刀を手に入れたよ。そうさ、今川義元が持っていた愛刀(あいとう)宗三左文字(そうざさもんじ)を自分のものとしちゃったんだ。この刀の宗三左文字は義元左文字(よしともさもんじ)とも呼ばれていてね、なかなか手に入らない素晴らしい刀だったからね。信長はこの刀をことのほか気に入って何度も試し切りをしていつも差
していたというよ。この刀は信長を祭神とする建勲神社(たけいさおじんじゃ)に今でもしまってあるんだって。祭神とはね、その人を祀っている(まつっている)神社のことをいうよ。建勲神社は信長を神さまとして祀って(まつって)いる神社なんだね。 
 
信長はね、勝ったことを記念してこの刀の茎表(なかごおもて)の裏に文字を刻ませているんだ。 
{織田尾張守信長} 
(おだ おわりのかみ のぶなが) 
{永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀} 
(えいろく3年5月19日 よしもと うちとりのとき しょじせし かたな) 
 
信長はね、勝ったお礼として熱田神宮には塀を築いているんだって。これは信長塀と呼ばれていて、その一部が今でも見ることができるんだって。見に行ってみたいね。 
 
おしまい、ポン! 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?