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ひとりではできないことをやること、カネコアヤノ、くるり

幸せのためならいくらでもずる賢くいようよいつまで一人でいる気だよ(カネコアヤノ/祝日)

最近はひとりではできないことをたくさん経験させてもらった。ひとつは芸人短歌の編集で、もうひとつはほんま家という田畑さん(説明するまでもないのだが元田畑藤本の田畑さんです)のいろんなユニットライブに岡田萌枝とトリオで出演させてもらうことだった。

『芸人短歌』についてはまだ発売前なのだけれど、執筆・イラスト・表紙デザイン勢にはお渡ししていて、今日すべての方に発送を終えた。
その件に関していろいろ考えたよっていうのは前の記事に詳しいのでそちらを見てほしい。

今日は田畑さんともえちゃんとライブの打ち上げがあった。くら寿司でたくさん食べて、お腹いっぱいになって、なんだか深い話になった。人間の性質みたいなことについていろいろな意見を交換したのだが、その中で田畑さんが「おれは英語と宇宙については得意なんやけど、」と言っていていや英語と宇宙について詳しいというプロフィールめっちゃかっこいいなと思った。わたしも自分の得意なことについてかっこいい言い方で言えるようにしておかなくてはなと思った(もちろん田畑さんがかっこつけていたというわけではなくさらっと言っていて、それがなんだがとても印象に残ったのだった。自分を一言で表せる言葉って大事だ)

で、ふたりにお願いして芸人短歌をその場で読んでもらった。ふたりはかなりじっくり読んでいて、一首一首を真剣に手繰っているかんじがして、それはわたしの書いた歌ではないしイラストもわたしの描いたものではないのだが、それを総合的にプロデュースするような役割を果たしたことは確かで、だからとても緊張した。けれどふたりの没入加減はとてもよくて、もえちゃんはあるページでめちゃくちゃ笑ってくれて、ふたりとも帰ってからまたゆっくり読みたいと言ってくれた。そうやって何度も読みたいと思ってくれる本に仕上がっているのならばそんなに嬉しいことはないなと思った。

中面イラスト担当のいとうひでみさんからは「何回か読んだんだけど、」からはじまる感想をもらって、すでに何回か読んでる〜〜〜ととても嬉しかったし、「この人が良かったけどもうちょっと読んだら他の人の良さも立ってくると思う」というようなことも言ってもらって、まだ何回も読む気でいる…!最高…!と思った。

田畑さんともえちゃんと帰りに歩いていて芸人短歌よしもとバージョンってどうですかっていう話になって、もし選ぶなら誰ですかと聞かれ、最初はよしもとの人がぱっと頭に浮かばず有名な人を何人か挙げてしまったけれど、オダウエダですかね、と言った途端に次の号のイメージが浮かんできて、やばいな、編集の楽しさ(もちろんめちゃくちゃしんどいこともあり、ひとつはシンプルに全員の進行を管理するのや誰に謝礼を渡したかなどという事務的な手続きにかなり時間を割かれたこともつらかった。それらもとにかく送られてきた原稿がめっちゃ良かったからつらいなと落ち込まずにいられたのだと思う)に目覚めたなという感じがあった。
あとケビンスは絶対だ、山口コンボイさんの作品がめちゃくちゃ見たい。
よしもとでやるなら編集はわたしではないなと感じていたけれど、よしもとから呼びたい人よく考えたらいっぱいいるな…!!!商業出版にできませんかねよしもとさん…!!!

けれどまずは家の台所と居室のあいだに山ほど積んである『芸人短歌』で、これをどうやって広めるかだなって思っている。いろんなやり方をいま模索中だ。

仮にもし第二弾を出すとしたらこれを超えるものをつくらなくてはいけないというプレッシャーもあるだろう。このフレッシュで爆発力のある感じは一号目だからこそ出せているもののような気がするし、単純に同じ執筆陣で二号目を出してももっといいものになるかはわからない。もえちゃんが言っていてそうだなと思ったのは、初速だよね、という言葉だった。みんなおそらくはじめてのタイプの依頼で、短歌をつくるのがはじめてのひともいて、だからこそこの仕上がりになっているのだというのはその通りだ。

じつは二号目を出すとしたらオファーしたい人は数人さっきのよしもとで名前を挙げた人のほかにもいて、ただ一号目よりどうなるかわからない度合いが上がるので心配ではあるなって思っている。

これを読んでいる方のほとんどが芸人短歌をまだ読んでいないだろうから、なに言ってるかわかんねえよって感じかもしれないのだが、『芸人短歌』はそれぞれの個性がちゃんと違う方向を向いていてかつめちゃくちゃ輝いているという意味でいい本だなと思う。歌自体にはほとんどわたしは関与していない(いっぱいつくってもらった中から選ぶのを手伝ったり感想を言ったりはした、あと木田くんの原稿は一回全ボツにした)のだが、いいものが集まってきたことに本当にぞくぞくした。

ひとりではできないことをやっている、というのを強く思った。人の手を借りることを怖がってはいけない。たまにはこういうことをやって自分の力だけでは出せないものを出していきたい。

ほんま家の終わった後ハイになって、来てくれた友達(いとうひでみである)に延々と楽しかったエピソードを話し続けて、いいだけ話してから家に帰り、そしたらかなり虚脱してしまって、さみしい、に心が支配されて、もうあの知的好奇心をくすぐるネタ合わせができないのかって思うとすごくつらくなったしかなしかったしさみしかった。でも今日の打ち上げで田畑さんともえちゃんと話して、もえちゃんには時々会えるが田畑さんにはもうしばらく会えないだろうな、と思って内心しんみりしていたら、別れ際にはまたよろしくとさらっと言ってもらえて自然に別れて、そうだよな、ここですべてのつながりが切れるわけじゃないよなって思えて、このネタ合わせとライブという楽しかった時間を共有できたことをもっと単純に喜ぼうって前向きになりながら帰ってきた。

そしていま21時、夜、喫茶店でコーヒーを飲んでいる。わたしの気持ちは穏やかになりつつある。またあたらしい創作をやっていこうという気持ちがちゃんとある。大丈夫だ。

いつでも愛ある明日を信じていたい珈琲は冷めてしまったよ(くるり/ランチ)


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