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声を聴くと恋心が騒ぐのに、恋は時間と共に風化してしまうんだね

noteを書き始めて、初めて失恋について綴ったnoteを見ている人はまだいるのかわからないが、今回はその人の話だ。もし、このnoteを見て気になれば見てほしい。若気の至りだ。

あの時は、自分のことをそのまま書きたくなくて、友達の話として書いてしまった。私にとって、それが一番言葉として残せる方法だった。

失恋を言葉に残すことは、どうだろうか。答えは分からない。失恋なのだから、忘れてしまってもいいと思う。でも、自分の汚点として考えたくないしと思う。出会い、そこに恋が確かにあったこと、叶わなかった、実らなかったのは結果としてあるがその人との思い出は大切にしたい。

さて、私は彼に失恋して早2年は経ったらしい(LINEの履歴を見て)

友達としてつながりは絶たずに、を望んだ私でもいまだに少し確執があるのは確か。相変わらず、「あけましておめでとう」というと、返事が返ってくるのは何となくうれしい。

そんな彼は、私より1年ほど早く社会人になっていた。噂によれば、会社がよくなかったのか鬱状態になったことを知った。今は、確か地元に戻っているとかなんとか(あまり知らない)

先日、そんな彼が久しぶりに弾き語りの投稿をしていたのを見つけた。元気そうにしててよかった。それが、素直な感想だった。

投稿の動画は、すぐには聞かずしばらく寝かせていた。何となく聞けなかった。ふと、昨日、出勤前に時間があり、再生ボタンを押してみた。

懐かしい声だった。年月が経っていても、声は何も変わっていなかった。

好きだった声、いや今でも好きな声だろう。聞いていると、昔一緒に出掛けたことを思い出した。ケータイのフォルダにまだその時の写真は残っているかもしれない。どうしようもなく懐かしかった。

付き合ってもいない、恋もしていなかった。いや、少し好意は寄せていたかもしれない。

一緒に歩いた道、切符を買うのに迷った券売機、何かにびっくりした改札、端の席に乗せてくれた電車の座席、どうでもいい話をしてながら見たグーグルマップ、一緒に食べた甘味、私がふらっと吸い寄せられたお店、商店街。

少しでも長く一緒に居たかったのに、終電前にはきちんと帰されてしまって少しだけ不満だったあの頃。

懐かしかった。声を聴いていると、蘇ってきた。

恋人にもなれず、友達のままでもいれない、片思いだったあの時期。

甘味処と商店街は去年の春頃、たまたま近くを通りがかって懐かしく思ったことさえ思い出してしまう。

また好きになる、ということはなかった。蘇ってくる恋心も風化するのだ。私は日々、前進してしまっている。今では別に好きな人がいるのも事実。

あの時は、この人が良かった。この人しかいないと思っていた。

なのに、今は別の人の横を歩こうとしている。

結果だけ見ると薄情だといわれるかもしれない。でも、そこまでの辛かった思いや悲しみは確かに存在していて、簡単ではないということだけは分かってほしい。

幸せになりたいから、幸せを願っているから、別の道を歩くことを決断したのだから。

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