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義母と妹島とティッシュ箱 ~消去法からの美意識について


住まいのデザイン、って難しいですよね。なんというか、どこから手を付けたらという茫漠な感じがつきまとう。


かつて設計事務所に務めていたときの業務とは、基本的には所長の◯山さん(伏せ字の意味がない)の中では見えている、スケッチとして出力されるナニモノカを実体化すること、イコールまずはそれを図面としてトレーシングペーパーの上の鉛筆の線にする仕事だった(まだCADは導入されていなかったのだ)。

が、ボスであっても迷うときはある。そんなとき、こう言われるのだ。

「100案描いて持ってきて」


そんな、どこぞの物置みたいに・・・
大丈夫じゃねーよ!と突っ込みつつ、あの屋根の上のにこやかな映像が瞼の裏に浮かぶ。

まったく、簡単に言わないでほしい。

でも、自他ともに認める、描く方のデザインセンスは欠如している自分である。自他ともに高め評価を受けていた(たぶん)のは調整能力である。そこで、100案出す意味を考えると、実は選択の際に脳みその違うところを使えることがわかる。
ひねり出すときは無からの生産だが、100案描いてから選ぶのは、存在するかたちの選択なのだ。そこに何らかの美意識のモノサシがあれば、これよりこれがいい、という選び方は出来るはず。言い換えれば、こっちのほうがダメ、と選んでいく発想である。それならゼロから何かを生む(そしてえてして生まれない)徒労よりマシかも知れない。目は創造性のないものに残された数少ない武器である。

なので、とりあえず拙くてもなんでもいいから、100個並べるのが大事、ということと理解した。もちろん、これも結局は無から有を生む必要はあるのだが、例えるならお腹を痛めて子供を生むことと、毎朝トーストを焼くことくらいの違いにはなる。とても気楽である。

ただ、実際に施工可能性まで考えなきゃならないのは自分なので、そこまで漠然と落とし込める、と見通した案をラフに描いて10案だけ持って行く、とかだったけど。トーストから、お気に入りの具入りの巨大おにぎりくらいにグレードアップした感じである。
だって選ばれたやつで実施図描けません、じゃ困るしね。自らの首を絞めに行くトラップに嵌まるようでは建築学生と変わらないのだ。そこはプロの端くれの矜持である。


そして、なんらかの統一感を持ってデザインをするとき、全体を発想の足し算で考えようとするから大変なのだ、ということを理解したもう一つの話を、じつはそれ以前に経験していたことを思い出した。

大学を出た際に、そのまま就職せずに建築模型屋さんのバイトを続けながら実家でのプー暮らしとなった際、心配した親からの情報だったのだろうか、JIA(新日本建築家協会:当時)が建築セミナーという企画を週2ペースで年間通しでやっていることを教わった。そこで親の脛をまたしてもかじり、夕方の千駄ヶ谷は外苑西通りの登り坂の左側に、黄色いホープ軒を横目に見つつ通わせてもらった。


そこでいろいろな建築家の方の話を聞いたり(槇文彦、宮崎浩、大江匡、鈴木博之、鬼頭梓、阪田誠造、林昌二、葉祥栄、今川憲英、etc)ワークショップに参加したりすることができて、狭かった学生時代からの視野を、ほんのちょっとだけ広げる事ができたのだ(たぶん)。ちなみに、そのときにペンシルバニア大学の学生さん達との合同ワークショップ合宿に引率で来ていた建築家が、翌年自分が仕事をすることになった◯山さんであった。なので、まだ存命の父母に、アレのモトは取れたと言っておこう。

話が逸れた。


その錚々たる講師の皆様のなかに、妹島和世さんがいらっしゃった。
今と同じく、どうしてこの小さな姿の中にあんなエネルギーが入っているのか?と宇宙の謎に触れたような気持ちになる方であった。彼女のデザインは師匠筋の伊東豊雄さんと比べても、より軽やかで徹底している印象だったので、その出所みたいなものにふれてみたいと思ってお話を聞いていた。そこで、このような話があった。

「私は、どういうものをつくってはいけないか、と発想している」

足し算でなく、いきなり引き算で出てくるかたちが、彼女のデザインだったとは。当時はそういう発想がなかったので、たいそう驚いた記憶がある。



でも、それの本当の意味と厳しさを知ったのは、ALSを患った義母、きよみさんに買い物を頼まれ、それを持っていった時の一言だった。

「このティッシュ、持って帰ってくれる?」

頼まれて、買ってきたティッシュボックス×5(ただし花柄)である。どういうことだろうか。
聞けば、自分はティッシュは無彩色、できれば白っぽい箱のものしか買わないのだとのこと。中身でなく、あくまで外観の話であった。

これ、言葉だけでは伝わらないと思うので、そのときの状況がわかる画像を添える。

介護ベッドをいれた居間(→寝室)

昭和初期から増改築を繰り返した木造住宅にひたすら目をかけて、その美意識に沿って調整してきた部屋がここである。気管切開をしないことを決めたきよみさん、徐々に呼吸が苦しくなってきたときに、一度は看護小規模多機能に行くことも考えたが、見学して取りやめたのだ。自宅で最後まで過ごす、と決めたのである。それがここ。何という説得力。

自分はかねがね、この調和がどうやって保たれているのか、ということに興味があったのだが、その一言が妹島和代さんの言葉と結びついて、わかった。


審美眼とは、「許せない」なのだ。それだけはダメ、という感情のアンテナを常に立てておけるかどうか。ちょっと引っかかるけど、せっかく買ってきてもらったんだから、とかそういった気遣いをすると、調和は崩れていく。

ここの場合は、このコバルトブルーの敷物(確かヨーガンレールのお店で手に入れた、とか言っていたような)がきよみさんのお気に入りだった。そこで敷物は危ないというのも野暮である、ということで、自分もそれを両面テープを持ってきて貼り付けたのだが、それらに調和しないものが存在することが、このような自分が動きにくくなった状況でもやはり許せない、と思ったのではないか。いやむしろ、なおさらだったのかも知れない。この空間が今後、自分の過ごす全てになるのだから。


その、審美眼を裏切らないために通す意志、それこそが美意識というものなのだなあ、と自分はこの時に学んだのだ。もう義母というより、自分の中できよみさんは妹島和世とおなじ位置にいる。

だが相変わらず、自分の仕事場兼自室はものに溢れているし(むしろ買い足した本が雪崩れるようになった)、微妙な箱ティッシュも相変わらず買ってくるし、自分はやっぱりその域に行けないよなあ、という諦めもある。

でも、現場での仕事中、微妙な角度で入ってしまったネジを眺め、「これ許せる?」と自分に問うた上で打ち直したりすることも、たまにはあるのである。



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