旅としてのスキーが持つポテンシャル
フェンシングの太田雄貴さんが
「今年、世の中を賑わせてしまったスポーツ団体の問題というのは、強化一辺倒の組織にこそ起こる問題だったと思う。」
と言っていた。
興行や生涯スポーツとして、本来スポーツが持つ価値を最大化するのはスポーツ界全体が持つ課題だ。
私は競技者としてスキーをやった事はないが、スキー業界にも成績第一主義的な風潮は存在するようだ。競技としてスキーを始めた中高生の多くは、勝ち負けと順位で自分の価値が決まるレースの世界を卒業すると、もうスキー場には戻って来ない。
本題に入る。
スキーには、他のスポーツにはない要素がひとつある。
それは「旅」である。
スキーが、自分と、人が踏み固めた雪面だけの世界で完結するのであれば、北海道でやっても、長野でやっても中国でやっても本質的には同じことだ。
しかし、景色や雪質、もっと言えば温泉や食事などもスキーの要素として捉えたら、場所や季節によって毎回違う違う体験=旅になる。
レースで勝つことや検定を取ることも大切だ。しかし、スキーが始まった100年前には、誰もが自分で滑る場所を決めて、自由に滑って遊んでいたはずである。その上にスポーツとしての要素が積み重なってきたのがスキーなのだ。
これは、日本人で初めて冬季五輪でメダルを取った猪谷千春さんが7歳のときの写真だ。(志賀高原の記念館で筆者撮影、いちどインタビューしてみたいと思っているので、ご存知の方がいたら紹介して欲しいです)
日本のスキー文化も間違いなく最初は、「雪山で遊ぶ」事から始まっている。
私は6年くらい前にバックカントリースキーを始めた。スキー場から出て山の中を歩いたとき、日本の雪山には無限のフィールドが広がってるのに気づいた。同じことにいろんな人が気づいているから、いまバックカントリーをしに雪山に行く日本人、外国人が急増しているのだろう。
では、スポーツに旅の要素があるとどんないいことがあるのか?
スキーが持つ旅のポテンシャルをもう一度開放できれば、スキーがターゲットにできる市場は「国内スポーツ」から「グローバルツーリズム」に飛び出していける。今すぐこれができるスポーツは私が把握している限り、スキー以外見当たらない。
前回書いたように、"スポーツ"としてスキーがこれまでと同じやり方でビジネスの規模を維持していくのは非常に厳しい。
ボールひとつで年中できるサッカーや、パソコンとスマホがあればコンテンツを無限に配信できるeSportsに、露出量と広告費で稼ぎが決まる”スポーツビジネス”のロジックで勝つのは無理ゲーだ。
2022年北京冬季五輪までに中国のスキー人口が1億人を超えるかもしれないと言われている。
しかし、スキーがレースとジャンプしかなければ、ハーフパイプも、基礎スキーの技術選だって、中国で完結しまって日本のスキー産業は1円も恩恵を受けない。
旅の要素があるスポーツ。
場所によって異なる体験を提供してくれるスポーツ。
私はそういうスポーツを勝手に、「デスティネーションスポーツ」と呼んでいる。
例えば、ここで言っている本来の意味でのスキーとスノーボード。サーフィン。自転車。ロッククライミング。
ランニングだって、いろいろな場所を走ることを楽しむスポーツだと考えればデスティネーションスポーツだ。トレイルランニングはその最たる例だろう。面識は無いが、ラントリップの大森さんも同じことを言っていた。
サーファーが波を求めて旅するように、いい道を求めてランナーが旅をする時代――大森英一郎さんインタビュー
スポーツツーリズムという言葉がある。スポーツをするためにする旅行の事である。観光庁も使ったりして、観光業界では一般的に使われている。
それとは逆に、人を動かす=旅をさせるために、既存のスポーツコンテンツやスポーツイベントはどう変わっていかないといけないのか。それを考えて、新しいアクションを起こしているスポーツ業界の人は、世の中が東京五輪一色の今、あまり多くない。
国際観光客が爆増していくアジアにおいて、日本の雪は間違いなく最強の観光資源である。これは既にニセコや白馬の事例で証明されている。
日本のスキーカルチャーも本来持っていた旅の要素をもう一度開放してあげることができたとき、スキーは違った形で復活すると思っている。
どうやってやれば良いかは、また次回。
フリーライドスキー/スノーボードの国際競技連盟、Freeride World Tour(FWT)日本支部で、マネージングディレクターおよびアジア事業統括をやっています。