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第六夜 in 2020

 ジミ・ヘンドリックスが新宿駅西口通路で路上ライブをやっていると云う評判だから散歩ながら行って見ると、自分よりも先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。

 取り壊しが進んだスバルビルの地下部に取残されて死んでしまった「新宿の目」の前に、マーシャルのギターアンプが置かれている。振り返ると地下広場のロータリーが、壊れた宇宙船の残骸から見上げたような空を抱えてうずくまっていた。クリーム色のフェンダーストラトキャスターから伸びたカールコードが、ジミ・ヘンドリックスの足元に置かれたファズとワウワウペタルを経由してマーシャルに刺さっているのがなんとなく古風である。69年の喧騒を思わせる。

 ところが見ているものは、みんな自分と同じく令和の人間である。中でもコロナ禍で真面目にステイホームしていたが、さすがにじっとしていられなくなった昭和生まれの人間が多い。このまま言われるがままに閉じこもっていたら、きっとおかしくなってしまうだろうと思って、家から逃げ出して立っているに相違ない。「大きな音だなあ」と云っている。「最新の機材を使うよりよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。そうかと思うと、「へえハードロックだね。今でもジミヘンはハードロックを弾くのかね。へえそうかね。わたしはまたハードロックは古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。「どうもサイケデリックですね。なんだかんだってジミヘンほどサイケデリックな音楽は無いって云いますからね。何でもプリンスよりサイケだってことらしいですよ」と話しかけた男もある。この男はユニクロで買った薄手のダンガリーシャツを骸骨のプリントされた黒いTシャツの上にボタンを外して羽織っている。指先が切れた黒革のグローブをはめた右手でしきりにスマホの画面をつついていた。よほどヘビメタが好きだと見える。

 ジミ・ヘンドリックスは見物人の評判には委細頓着なくギターをかき鳴らしている。いっこう振り向きもしない。時々マーシャルのそばに寄ってフィードバックを起こしてはギターのアームを頻りに動かしている。ジミ・ヘンドリックスは頭にバンダナのようなものを巻いて、和服のように袖口が広がった絞り染の黄色っぽいシャツに革製のベストを着て擦り切れたジーンズを履いていた。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合いが取れないようである。自分はどうして今時分までジミ・ヘンドリックスが生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。

 しかしジミ・ヘンドリックスの方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に弾いている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、「さすがはジミ・ヘンドリックスだな。眼中に我々なしだ。世界に英雄はただハードロックと我とあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って褒め出した。自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、

「あのフィンガリングとアームの使い方を見たまえ、大自在の妙境に達している」と云った。

 ジミ・ヘンドリックスは音と音の間合を巧みに取りながら獣の遠吠えのようにギターを唸らせるや否や突然、期待を裏切るようなタイミングでアームダウンを差し込んだ。複雑なリズムを独特のグルーブで刻んで、挑発的な叫び声をあげたと思ったら、繊細でブルースフィーリング溢れるフレーズがたちまち聴衆を魅了した。「よくああ無造作にアームを使って、思うようなフレーズが弾けるものだな」と自分はあんまり感心したものだから独り言のように云った。するとさっきの若い男が、

「なに、あれはフレーズを弾いているんじゃない。ストラトキャスターを手にすると自然と指が動いてしまうものなんだ。身体をストラトの神様に委ねるだけだから決して間違うはずはない」と云った。

 自分はこの時初めて音楽とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分もストラトキャスターが弾いてみたくなったから見物をやめてさっそく御茶ノ水に向かった。

 巨大なビル群と化した明治大学の前で軒を連ねる楽器店の中からストラトキャスターが多そうな店を選んでのぞき込むと、超高額なオールドフェンダーから最新のアメリカンスタンダード、手頃な価格の国産やメキシコ製のコピーモデルまで、たくさん展示してあった。


 自分は69年製のクリーム色のメイプルネックを選んで、店員の顔色を伺いながら恐る恐る弾き始めてみたが、不幸にして、指は自然に動かなかった。その次に選んだ75年製のブラッキーにも身体を委ねてみたが運悪く指は自然に動いてくれなかった。三番目の80年製ローズネックのサンバーストにもストラトの神様はいなかった。自分は展示してあるストラトキャスターを片っ端から試奏してみたが、どれもこれもストラトの神様を蔵しているのはなかった。ついに令和のストラトキャスターにはとうてい神様は宿っていないものだと悟った。それでジミ・ヘンドリックスが今日まで生きている理由もほぼ解った。 


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