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#書く

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2021年8月の記事一覧

noteを書くから、モヤモヤするんじゃないか

「人生について考えてない時が一番良い感じ」と思っているけれど、毎日noteを書いているせいで、人生について嫌でも高頻度で考えてしまっている。 自分の書く文章のテーマが「人生のモヤモヤや葛藤」ということもあって、より考えてしまう。 人生について考えていない時、考える暇もないくらい、何かにのめり込めていたり集中できている時が一番良いよな、と思いつつ、実際は毎日考えているという自己矛盾に気付いてしまった。 自分と向き合う時間とか人生について考える時間とか、そういう時間は意味が

整理したいなら「書く」、気づきたいなら「話す」

書くことで言語化できるし、話すことでも言語化できる。 書くときは、自分のペースでじっくりできるから、散らかった脳内を整理できて、自分が思っていることや感じていることを、一つひとつ言語化できる気がする。 話すときは、他者の存在があるから自分の思い通りのペースにはならないものの、思いがけない発言があったり、新たな視点を得られるから、一人でじっくり書いていたときには気づけなかったことに気づける。 書きながら、新たな気づきを得られる時ももちろんあるけれど、自分の場合は誰かと話し

「くっっっさ、カッコつけすぎ。」なダメ記事4選。#毎日投稿100日記念

普段とはがらっとテイストを変えてお送りします。 天邪鬼な人間なので「毎日投稿を初めて〇〇日(記事)」とかあんまり書きたくないのですが、実は、この記事が毎日投稿を始めて100記事目になります。 せっかくなので、多くの方から共感いただけた記事や自信作の紹介でもしようかと思ったのですが、天邪鬼な人間なので、かっこつけすぎて、不発だった記事を紹介します。 ああ、恥ずかしい。目を瞑りながらぜひご覧ください。 ①短編小説(全部)このマガジンの存在自体が、もう恥ずかしい。 特に、

noteの初心って何だっけ

はじめは、「文章を書きたい」、「自分の思いを表現したい」、そんな気持ちで始めたnoteも記事が読まれるようになって、フォロワーが増えて、欲が出てきて、いつしかリアクションに一喜一憂するようになって、モチベーションに波が出て。 そうやって、「何のためにやってるんだっけ」と書く理由や目的を見失っていく。 書くのに、理由や目的なんていらなかったはずなのに。 そんな時、note CXOである深津さん(@fladdict)の「もっとも大事なこと(noteのはじめかた)」という記事

書きたいことはないのに、書けないことならたくさんある

書きたいことがない、何を書けばいいか分からない。 ほとんど毎日そんな状態だけれど、皮肉なことに、書けないことならたくさんあるし、その書けないことが何かははっきりと分かっている。 文章にできるほど思考が整理できておらず「書けない」、そんなものもあれば、「書きたくない」という明確な意思のもとに「書けない」ものもある。 連日こんな文章を書いているけれど、自分のためだからとか、ありのままで良いからといって自分の丸裸を晒せるほど、僕は強くない。 書きたいこと以上に、書けないこと

ありのままでいられる場所が、一つでもあると良い

できることなら、ありのままの自分でいたいけれど、あらゆる環境や関係性において、そうあるのは難しい。 中学時代の友人に見せる自分、高校時代の友人に見せる自分、職場での自分、趣味で繋がっている人に見せる自分、親の前での自分、パートナーに見せる自分。 それらは同じ「自分」でないことがほとんどだ。 時には、その矛盾に苦しんだり、居心地の悪さから関係を解消したり離れたりすることもある。 自分は自分でしかなく絶対的なものであるけれど、相手の存在によって影響を受ける、という点では相

自分のために書く、それは誰かのためになる

自分が書きたいように書けばいい。 綺麗に整った文章でなくても、美しい言葉の羅列でなくても、自分の言葉で、ありのままに書けば良い。 ぼくは、「文章を書くこと」に関して偉そうに言える立場ではないけれど、何者でもない誰かの文章が、何者でもない他の誰かを救うことがあると知っている。 モヤモヤを言語化できない時、言語化できているけどそれを吐き出せない時、「どうして自分だけ」と卑屈になってしまった時、誰かの文章で心が軽くなる。 どんなに意味がないと思っても、誰も見てくれやしないと

スキがつかなくて、安心した

正直、そんなにフォロワーも多くなく、一度もnote公式に取り上げられたことのない自分の記事につくスキなんて、社交辞令みたいなものだと思っていた。 ぼくが先にスキをつけたからそのお返し、自分の記事を見て欲しいがためのスキ、そんなものだろうと思っていた。ノウハウや有益な記事を発信しているわけではないから、なおのこと。 ひねくれているのだろうか。 けれど、面白いもので「今惰性でnote書いているな」と思い始めてから、自分の記事に対する反応が明確に変わって、スキの数、コメントの

惰性でやるって、こういうことね

最近、惰性でnoteを書いている。 noteを書き始めた当初は、「noteを書くこと」に関する記事は書きたくないと思っていて、何となく、それを書き出したら負けな気がする、そんないらないこだわりを持っていた。 けれど、見ての通り最近「noteを書くこと」についての記事をいくつか書いている。 noteを毎日書くようになって約80日。 継続する中で、「よい習慣」を作るためにはステップがあることが分かった。 多分こんな感じ。 始める → 習慣になる → 惰性になる → よ

制限がアイデアを生む

自由に考えることほど難しいことはない。 だから、「もし1億円あったら何をしますか?」みたいな質問が苦手だ。 確かに、「1億円ある」というのは見方によっては「制限」だけれど、この質問の意図は、無意識の制限を取っ払い自由に思考させることだと思う。 仕事で何かアイデアを考えたり、自分が何をしたいか・どう生きたいか考える時、何も浮かばない時がある。 そういう時はたいてい「制限」がない。 例えば、自己分析なら「私はどんな仕事がしたいんだ?」と考えるよりも、「営業、企画、事務、