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#自分探し #自分らしさ #何者

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#考え方

"自分を知る"だけじゃ、足りないんだよな

自己分析、自己理解、自分探し。 “自分を知る”という経験や感覚はすごく大切だ。 けれど、自分を知っただけでは、現状は大きく変わらないかもしれない。 自分の価値観、性格、物事への取り組み方など、あらゆる思考パターンや行動パターンを把握できても、一時の達成感やアハ体験で終わってしまうかもしれない。 “自分に集中する” 自分と向き合うなら、ここまで持っていきたい。 今迷っていること、一歩踏み出せずにいること、曖昧にしていること、それらと一つ一つ向き合って、意思決定をして

感じてはいけない感情なんてない

喜怒哀楽、どれが良くてどれが悪いなんてない。 怒りも悲しも、誰だって感じるし、感じたくなくても感じてしまう時だってある。 「嫉妬」はどうだろうか。 言葉のイメージとしてはあまり良くない気がするし、感じなくて済むなら感じたくない気もする。 ただ、周りのよく見えるこんな時代に生きていると、日常生活の中で嫉妬を感じずにはいられない。 ・自分より稼いでいる ・自分より友達が多い ・自分よりフォロワーが多い リアル・オンライン共々、嫉妬を感じる様々なシーンがある。 嫉妬は

ありのままで、本当に良いのだろうか

「ありのままで良い」 「あなたは、あなたらしくいれば良い」 すごく聴き心地の良い言葉。 実際、それらの言葉に救われたこともあったし、一歩踏み出せたこともあった。苦悩を抱える人に、そっと投げかけたこともあった。 けれど、常々思う。 「ありのままって、何だろう」 「私って今、ありのままでいられているのかな」 そもそも、本当にありのままでいて良いのだろうか。 ありのままでいることが、今の自分にとって本当に必要なことなのだろうか。 一歩踏み出せない自分、何かを変えたくて

「何してる時が楽しいの?」に答えられない

おそらく聞く人にとって深い意図はないのだろうし、それほど重たい質問ではない。 「何してる時が楽しいの?」 今まで何度か聞かれたことがあるはずなのに、「出身はどこですか?」みたく反射的に答えられない。聞かれる度にいつも「何してる時が楽しいかな?」と自分自身に問いかけてみる。 「んー、何ですかねぇ」とワンクッション挟んでみるけれど、たいてい、「散歩してる時ですかね」とか「YouTube観てる時ですかね」と答える。 答えた後に、「うわぁ、何かしっくりこない」と一人反省会が始

「普通」じゃ満足できないボクらは

「普通」という言葉に、どれほど振り回されているのだろうか。 「普通で良い」とか「普通じゃ嫌だ」とか、何でもかんでも「普通」が基準になっている。 そもそも、そういう基準になるものが「普通」なんだろうけれど。 「普通でいたくない」という欲求が行動のモチベーションになったり、何かのきっかけにもなってしまうくらい。 「普通」に満足できることなんて、あるのだろうか。 普通でない何かを手に入れたとしても、一度手に入れてしまったら、やがてそれは「普通」になってしまう。 そうして

「趣味とかあるの?」に毎回答えられない

趣味を聞かれるのが苦手だ。 聞かれる度に毎回答えが変わるし、自分で答えていてしっくりきたことがない。 休日の過ごし方とか日常的にやっていることを答えておけば良いのだろうけど、どうも厄介な認識や基準があって、うまく答えられない。 ・あまり他の人がやっていないようなものを答えなくちゃ ・ある程度継続的にやっているものを答えなくちゃ ・得意と呼ぶに相応しい何らかの実績があるものを答えなくちゃ これらに当てはまるものがないから、本当は答えたくない。 結局、いつも「文章を書く

何もうまくいかない。いつも“大きく”考えてしまう僕ら

うまくいっていない時、何となく「何もうまくいってない」と思いこんでしまう。 「あー、恋愛と趣味と友人関係はけっこう良い感じなのに、今月の営業成績だけが悪くて仕事がうまくいかねぇ」 とはあまり思わない。 それくらい冷静に考えられる内は、むしろ「大丈夫」なのかもしれない。 「全然だめだ」、「何もできていない」、つい事を大きくしてしまう。 それ自体はよくある話だけれど、度が過ぎると不毛な自己嫌悪や自己否定に陥ってしまう。 何か失敗をした時に「もうこれから先何をやっても失

流れゆく日々の傍観者、変わらない何かを探そうとする僕ら

友人の幸せに対して、喜びよりも先に焦りや嫉妬を感じるようになることが、「大人になる」ということかもしれない。 転職、独立、結婚。 人生の転機を迎える、新しいステージへ進む、そんな変化の真っ只中にいる友人の“変わらない何か”を探そうとする。 「昔からこういう人好きだったもんな」 「昔からこういうノリで生きてたもんな」 「相変わらず、我が道を行くタイプだな」 それもまた、「大人になる」ということかもしれない。 - 僕らは、日々変化にさらされている。 「自分は傍観者で

万人受けしようとすると、誰にも受けなくなる

マーケティングやブランディングといったビジネスに限らず、人間関係や生き方にも同様のことが言える。 みんなに好かれようとすると、広く浅い関係値になってしまうかもしれないし、ツッコミどころのない生き方をしようとすると、無難になってしまうかもしれない。 自分が周りに合わせていくことも大事だけれど、どこかで“わがまま”にならなければいけない。 誰にだって、譲れない何かが一つや二つある。 それを譲ってまで維持したい人間関係、生き方、果たしてそれは本当に自分が欲しいものなのだろう

どうして、「ビジョン」が必要なのか

あなたのビジョンはなんですか? 入試、企業の選考、上司との面談、様々な場面で聞かれる。 自分は「ビジョンなんて別にいらない、無くてもいい」と思っている。 だって、先のことなんて分からないし、先のことを考えたって結局今しか生きれないじゃないか、と考えているから。 ただ、そんな自分にモヤモヤしているのも事実で。 今を全力で生きるモチベーションこそ、ビジョンなんじゃないか 良くも悪くも行き当たりばったりなんじゃないか なんてことを考えてしまう。 - 企業や上司がビジ

結局、自分のことを一番よく分かっているのは誰なんだ

過大評価されても何だかモヤモヤするし、かといって、過小評価されてもそれはそれでモヤモヤする。 私のモヤモヤは… 公私ともに、周りからの評価と自分自身での認識の噛み違い です!よろしくお願いします! (たんせんさん) 「公」の話で言えば、評価者と被評価者の構図が存在する以上、ギャップを埋められるよう努力するしかないと思う。 ギャップを感じるなら、「ギャップを感じていること」を評価者に具体的に伝えて、擦り合わせる必要がある。 評価の仕組みそのものに不満があったり折り合い

弱くて強いし、暗くて明るい

「明るいよね」 「メンタル強いよね」 そうだけど、そうじゃない。 明るい人でも暗い時はあるし、メンタルが強い人でもメンタルが弱る時はある。 逆だって然り、暗い人でも明るくなれるし、メンタルが弱い人でも強くなれる。 人間ってそういうものだし、明るさとか強さは相対的なものだから、0か100かなんてことはない。当たり前のことなんだけれど。 その当たり前を改めて実感しておかないと、自分自身に対しても、相手に対しても、一喜一憂して、時には勝手に傷ついてしまう。 自分は明るい

多様性を認める前に、そもそもぼくらは自分が何者であるか分からない

「どっちが大切なのか」と聞かれた時は、たいていどっちも大切だったりする。 きっと仕事も家庭も大切だし、時間もお金も大事だし、結果もプロセスも大事。 選べるものたちは、本来もっとグラデーションがあるはず。 - 今はもう、二元論のもとでは選択できない時代。 選択肢があまりにも増え過ぎた。多様になり過ぎた。 おかげで今まで居場所がなかった人たちは、自分の居場所を見つけることができたし、無理やり既存の枠組みに当てはめられて息苦しさを感じる機会も減ってきた。 けれど、同時

本質的じゃなくても良くないか

「自分の機嫌は自分で取る」 よく見かけるフレーズだけれど、こういう言葉が受け入れられ、自分自身も使いたくなる気持ちはけっこう分かる。 確かに、自分の機嫌は自分で取りたい。 ぼくはこの言葉を誰が初めに言ったのかもいつどこで発信されたのかも、実は知らない。 だから、勝手に自分なりに解釈するけれど、自分の機嫌を自分で取るのはそれほど難しくないと思う。 ちょっとうまくいっていない時、嫌なことがあった時、好きなものを食べたり、好きなエンターテイメントに触れたり、思い切って見た