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僕は僕の思いつくままに言葉を連ねていく。

2023/1/14のセッションは、とても多くを与えてくれるもので、但しその分、とても多くのエネルギーを要求するものだった。
長い間触れられないでいたトラウマの一部に触れ、そのさらに一部を、僕自身の体験として、想起し、語ることができた。「君に非はない」という主治医の言葉に、泣くことさえできた。

上々だ。

だからたまにはこういう記事があったっていい。
解離の主観的体験を言語化する練習帳のつもりで、はじめたnoteだった。

でも、たまにはこういう日があったっていい。

僕は僕の思いつくままに言葉を連ねていく。
だってとても寂しい。
どこかに村上春樹が書いた登場人物の台詞がよみがえる。
なぜ人はこれほど孤絶しているのか。
僕は僕の思いつくままに言葉を連ねていく。

そのことで紡がれる意味が存在するだろうか。
そもそもそんなもの、誰に届くのだろうか。
届いたとして、誰の価値になるのだろうか。
ゼロだ。
僕は僕の思いつくままに言葉を連ねていく。

僕たちはどこまでも孤絶している。
誰かが痛いと言って泣くとき、ただその隣で手を握っている人がいる。
誰かが痛いと言って泣くとき、その隣で我が痛みを主張せずにはいられない人がいる。
僕たちはどこまでも孤絶している。
果てしないマイクの奪い合い。ハウリング。ハウリング、ハウリング。
ああ、もうそのコード、引っこ抜いてしまえよ、ブラウニー。
そしてね、僕の話を聞いてくれよ。
僕たちはどこまでも孤絶している。

だってとても寂しい。

僕は僕の思いつくままに言葉を連ねていく。
誰かが痛いと言って泣くとき、その人は本当に痛いだろうか。
誰かが笑顔で歌っているとき、その人は本当に痛くないだろうか。
心は振る舞いの集積である。
痛みが存在しないなんて言ってない。
せめて、僕は僕の思いつくままに言葉を連ねていく。

こんな日があったっていい。

誰かに望まれて生まれたわけではない。
誰かに愛されて育まれたわけではない。
誰かを愛して癒した記憶はない。
誰かを必要とした覚えはない。
どうか、いつか、誰か、僕を必要として。

だってとても寂しい。
こんな日があったっていい。

僕は僕の思いつくままに言葉を連ねていく。


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