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フィンランド留学なぜかポーランドでクリスマス

moi こんにちは〜!

最近大学の留学説明会の準備でフィンランド留学を振り返っていたところ。北海道庁の奨学金(ほっかいどう未来チャレンジ基金)をいただいていたので、留学中は毎月何を書けばgoodなのか?ためになるのかな〜と思いながら、報告書を提出していました。

ここ↑のウェブサイトに報告書は全部提出したものが公開されています!

第5期生の紹介・活動報告

 ただ、中々この奨学金を狙わないとこの報告書を見てもらえない気がしたので改めて、報告書をnoteに公開していこうと思います ^^ (ほぼコピぺ)
報告書の内容に加えて、数ヶ月たった後の感想も混ざっているかもしれません。あと、報告書の話はいろんな話を一つのWordにまとめているのでもっと細かく話をくぎりながら公開していきます〜😃

それでは、思い出深かったクリスマスの話から。

12 月といえばクリスマスですが… 実際 11 月からずっとロヴァニエミはクリスマスムードに。12 月上旬に学校の食堂でフィンランドのクリスマスの食べ物を食べる機会がありました。

12月は10-12時くらいに陽が上り、13-14時半とかで下がる、朝焼けかと思いきや夕焼け

フィンランドはハム、ニシン、さつまいも・人参のキャセロール(潰して鍋であためてい る料理)、Pâté という豚の肝臓でできたミートローフのような食べ物、ビーツのサラダ…

フィンランドのクリスマスディナー見つからないのでトナカイ肉で

かなり馴染みのない食べ物が多かったです。
他のヨーロッパの国や北米とは全然違うものを食べるというこ とで少しカルチャーショックでした。

クリスマス当日は思いの外にポーランドにいました。大学で仲の良い友達がポーランド 人なので彼女の実家へ行きました。ロヴァニエミの大学の学生寮は帰国ラッシュと現地生のフィンランド人も実家に戻る人が多く、学生寮は少し寂しく、誰かの実家で伝統的に過ごしたいということでポーランドへ渡りました。(なんかフィンランド人とも仲良いけど、どうせなら〜外国へ・・という気持ちが)

確か留学1-2ヶ月目で行った登山でAnnaがクリスマスうちの家来ていいよって

1回 Annaがクリスマスポーランドに行っていいっていうのを、3ヶ月後くらいに急にメンションする、私。しかも、カップルで彼女たちとは仲が良いのでしっかり同じくラップランド大学に留学をしていた彼氏の Maks (マックス)の家のアポがとれたとのことでポーランドでクリスマスを過ごすことが決定。
カップルの初めてのクリスマスを日本人の謎の女を迎えてくれて嬉しかったですね〜。

二重顎になるくらい「えええ!」って感じ
polska kawaii coulple and japonska girl

Anna, Maks you guys are the best that you let me stayed at your places for Christmas! Jenki for the life long memory!

from yuki

ポーランドはカトリックを信仰している人がほとんどで、祝い方が カトリックの伝統的なものでした。

Annaのおじさんが伴奏始めてから1時間くらいは歌ってた

友達の家族はクリスマスの歌を歌うのが好きで、ご飯を食べた後はクリスマスキャロルを1 時間くらい歌っていました。クリスマスキャロルのほとんどは聞いたことがなく、一曲だけフィンランド語で歌われているのを聞いたことが。

ポーランド ボルシチ &「耳」

ピエロギ、ポーランドの代表的な料理ですが、人生で食べたことのない量のピエロギーを一度に味わいました。特にクリスマスの時期には、伝統的なポーランドボルシチ(具材のないビーツの赤いスープ)に入った「小さい耳」と呼ばれる小さなピーロギーが食卓に並び、これがクリスマスの欠かせない料理です。ポーランドボルシチは具材を入れず、コップから直接飲むそうです。

わざわざプレゼントまで・・・。ありがとう。

また、意外だったのは、イブの24日にクリスマスプレゼントを開ける習慣でした。カナダやアメリカのように、25日の朝にプレゼントを開けると思っていたので、24日の夜中(24時から25時)に教会に行って、皆でクリスマスキャロルを歌い、神父の興味深い話を聞く風習に驚きました。すべてがポーランド語で、神父の話の内容は理解できませんでしたが、雰囲気を楽しむことができました。

神父さんの話を聞いてみんな笑ってた

友達の祖母は、ウクライナから避難してきた家族に対してボランティアで家の一部を提供しており、クリスマスイブには3つの世帯の家族が一堂に集まり、ウクライナの家族(中学生ぐらいの少女、お母さん、叔母の3人)もクリスマスを一緒に過ごしました。ウクライナの家族の話は言語の壁で理解できませんでしたが、彼らの空気から戦争の悲惨さを感じ取れる空気感だったのは忘れない・・。

わちゃわちゃ
散歩 どこの国も青春ジャンプしがち


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