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娘が言った。「こんな家出ていく」・・・と。

夕方、橙色の空が一瞬、パァーッと明るくなる。最後の力を振り絞るかのように一瞬だけ…。
暗闇に塗りかえられる前のほんの一瞬が、なんだかとても好き。お酒も欲しくなるし、音楽(ジャズ)が流れてると、もうたまらない…。
そんな心境に浸りキッチンで料理をしていたら、娘が帰って来た。「ただいま」。「お帰り」。
「今日はどうだった?」
「何が」娘。
「忙しかった?」
「ふつう」娘。
なんなんだ。一体、この"ふつう"という返事はと、思ってしまう。これ以上話をしたくないという合図みたいなことなのだろう。

仕方ない、私はステイシー・ケント(ジャズシンガー)の声に酔いしれ、トマトソースとホワイトソースを重ね、ラザニアを作っていた。

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しばらくして、娘が話しかけてきた。
「ミク(友達)がさあ、今度は石垣島に仕事行くんだってー、先月、大阪で1ヶ月働いて帰ってきたばかりなのに、なにをしたいんだろう、よくわからんしー」
ミクは、高校時代からの親友で、中国に留学していた。帰って来てからは、これだ、と言える仕事が無いとボヤいているそうだ。なので、しょっちゅう仕事が変わる。若いからいろんな仕事にチャレンジすることはとても良いことだと思うのだけど、続かない理由がもう一つある。男心を鷲掴みにするという、魔性の女子なのだ。高校の時から今に至るまで、ずっと男子にまとわりつけられ、社会人になってからも上司に言い寄られ、仕方なく職場を辞めてしまうようだ。モテる女は大変だ。
「それでどうなったの!ストーカー、うわぁっ大変、かわいそう、最低、」とうなずきながら娘の話に好奇心をそそられる私。こりゃー親も娘の事が心配でと同情してしまう。モテる娘の親も大変だ。

「ご飯出来たよー」
「今日は何?」娘。
「ラザニア!美味しそうでしょ、それとガーリックライスとキャベツのポタージュ」
「えーっ、他のがよかったのにー」と、文句を言う娘。 "ガチン" ときたけど、どうにかおさえられた(ジャズボーカルの声に半分酔っていたのだ)。

「ミクさあ、とにかくお家を出たいんだって。そのために短期間の地方での仕事を探してるみたい」
「ふぅーん、そうなんだぁ」と聞きながら、私は複雑な心境になった。

ミクは母親と二人の母子家庭だった。母親の小百合さんは、大切に大切に育ててきたと思う。母子家庭に生まれついてしまったハンディを感じさせまいと、働きながらも持てる愛情のすべてを注いでいた。欲しがるものは可能な限り与えてきただろうし、自分の時間のすべてを、娘のために使ってきた。これ以上は無理、というくらいに・・・。

「ごちそうさま~」と言って、どおーんとソファーに寝そべる娘。スマフォを見ながらゲラゲラ笑っている。
食器はシンクにそのままだし、靴下は脱ぎっぱなし、洗濯物はどっさりかごの中。しばらく様子を見てから言った。

「あのさー、ご飯作ってもらっているんだから食器ぐらい洗いなさい。洗濯物がこんなにどっさりあるのに見えないの!」
「仕事で帰ってきたばかりだし、仕事してんだから」と娘。
「仕事仕事って、だったら生活費をもっと入れなさい。あんた自分の服や靴の買いすぎ。靴箱から溢れているし、いつどこで履くつもりよ、いつもあんなに衝動買いして!」
「もうー、うるさいなー、金、金、金って、もう出ていく!ひとり暮らしするから!」娘。
「な・な・なんと言ったあんた」ガチンガチン!!
今やステイシー・ケントの美声など入ってきやしない。ジャズもただの雑音となり、昔の自分を思い出す。

私は実家に生活費を入れ出したのは25歳だったと思う。
3万円だけだったけれど、友達も入れていたのでそういうもんかなと思っていた。両親は共働きで安定した給料がある割には、「明日は給料日だよねっ。」と、嬉しそうに聞いてくるし、封筒を渡すと母は、両手で大事そうに受け取り胸にあて握りしめた。

感謝されてうれしい気持ちと、あてにされてるような複雑な気持ちが混じり合った。
待ってましたとばかりの顔をされるのが正直嫌だった。いつの日からか嫌々ながら生活費を渡してる自分がいた。掃除しなさい、片付けしなさい、と言われると、働いて生活費も入れてるのにうるさいと思った。まるで、今の娘と同じだ。

「ミクも言っていた。お母さんがうるさいって、ほっといてほしいって。だから家にいたくないんだって。」

今だからわかることなんだけど、私も私の両親も、娘の給料をあてにして生活しているのではない。

爪を切ることさえ出来なかった我が子が、ある時から社会人となり社会の中で一人前に働いている。夕暮れ時に、パチパチ響く爪切りの音、それを想いだしただけで泣けてくる。

そう、あれもたしか橙色の空だった…。

泣けるというか感動に近い。娘の給料日というのは、甘いデザートのようなご褒美。無くても生きていけるけれど、せっかくのご褒美だ、味わって、楽しみたいだけなのだ。
わかるかなあ、オイ、コラ娘!

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