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どうでもいい暮らし #2 30

仕事で文章を扱う仕事をしている。全国の本屋に並ぶような雑誌の編集の仕事をしている。なんの実感もないまま、毎月のように本が出版されている。

仕事は忙しい。仕事ではない時間に文章を書いたり読んだりすることもストレスになる。そのせいで自分の言葉や、感情のアウトプットを文章に起こすことが最近少しできなくなっている。どうしたものだろうか。

前はずっとアウトプットすることが好きだったはずなのに。"好きなことを仕事にするというのはこういうこと"という人生経験をまさに今実感しているところだ。

まあ、そんなことはどうでもいい、とにかくお金をください。このままだと友達の結婚式のご祝儀袋にポケモンカードを入れそうです。



30


先日、30歳になった。仕事が忙しく、何の感慨も得られないまま30歳という壁を通過した。

もう戻らない20代を食い潰すように消費し切った。20代の10年という長くも振り返ると短いような期間をちゃんと見合った形で過ごせたのだろうか。

何か大事なものを無碍にしながらここまできてしまったのかもしれない。手元に残ったものはなんだろうか。生きてきた時間の中で得られたものはあるのだろうか。

味の感想もなく、ただ満腹にするためにお腹に入れてしまった食事のように。振り返ると虚しさだけが残っている。よく思う。

「これしかない」と10代で始めたバンドも自分の無力さで20代前半に終わらせてしまった。本物だと信じた気持ちも、自分で裏切りながら裏切られてきた。

得意なこともなく、表彰状も貰えずにただ生きてきてしまった自分が唯一得意だった嘘のつきかたは、大人になればなるほど得意になっている。自分にも誰かにも嘘をつき続けている。

「何者か」になりたかった。「どこかの誰か」ではなく、「何者か」になりたかった。でも、なれなかった。「どこかの誰か」の人生を進んでいる。でもそれでいい。もうそれでいいと思えたのはここ数年のことだ。諦めが悪いくせにガス欠の車を走らせる度量もない。

周りが自分の人生の道導を決めているのに、まだ過去の生産をしている。こんなはずではなかった。いや、よく考えたらずっと周回遅れの人生だ。学校の勉強もせず、人の話も聞かず、何年も経ってからあの時の話がようやく理解できるようになる。

いつでも周回遅れだ。仲良かった友達の話が嘘だということに気づいたのも5年ほど過ぎてからだった。

30歳。まだまだだよと言われ、もう30かとも思う。今の自分には何もない。

人生は続いていく。続けようと思う限り。

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