見出し画像

距離感

2020年。

子供は二人とも自活。独身。彼氏も彼女もいない(自己申告)

今年は娘の家へ。家族のグループLINEは一年で一番賑やかになる。

「なんかいる?」
「卵焼き!!」
「俺も!」
「酒は?」
「俺なんも持っていかないよー」
「んじゃオカンがなんか持っていくわ」
「お母さん、イオンでいいよ!イオンで!でも卵焼きは食べたい…」
「理迦んとこの駅の何番出口よ?」
「蒼くん(年子のせいなのか、兄を名前で呼ぶ)は、お母さんと一緒に4番出口に居て。迎えに行くー」
「母さん理迦んとこ行ったことあるの?」
「ちょこちょこね。蒼は何時に仕事終わるの?」
「あー…4時かな!今日早出で5時出勤だから」
「ゴルフ場は書き入れ時やね。んじゃ、そのままおいでよ。理迦んとこで風呂入れば?」
「え…それはちょっと。」
「wwシャワー浴びてから行くよ。先に集まってて。着いたらまた連絡するわー」
「はーい(*'▽')」
「りょ」

卵焼き機の繁忙期。ここ3日で卵40個分を作った。

画像3

粗熱が取れた卵焼きをラップとアルミホイルにくるみ、煮しめを詰め込んだタッパーウェアを抱え地下鉄に乗り込む。

途中下車して寄ったイオンのお惣菜と雑煮の材料、ウィスキー。

息子が大好きなマンダリンと、娘には2月一緒にライブへ行く「サカナクション」の年間会員のみに配られる冊子をお土産に。

画像1

蒼(そう:長男)はゴルフ場で働いていて、正月休みは元旦のみ。定休は平日。始業6時。終業4時半。
主人が亡くなった翌々日に高校を卒業し、就職。引っ越しと同時に一人暮らしを始めた。はじめは心配でしょっちゅう家に寄っては世話を焼いていたが、ここ最近はあまり連絡もしない。

私がたまに送る生存確認のLINEに「既読」が付けば、まあ、大丈夫。くらい。こうして節目の時は顔を出すだけ良しとしている。

昨年は私の家だったが、今年は静岡から名古屋へ帰って来た娘の、越してきて間もないアパートに家族は集まった。

テレビはない。
食材を出すビニール袋のこすれる音と、電子レンジのチャイムに交じり、恒例行事は始まる。

「なにその前髪ー。蒼はこういう髪型の方が似合うのに。」
「触んな!セットめんどくさいもん。」
「それよりもさー、蒼くんは眼鏡を変えた方がいいよ。こないだ大須でいいの見つけたんだよ!ついでに私にも買ってくれていいんだよう。」
「いいの!見えるから。理迦だって仕事してんだろ。自分で買いな。」
「お兄ちゃーん。」
「理迦気持ち悪っ。そう言う時だけお兄ちゃんって何?笑う。」
「ねえ、お母さんも一緒におねだりしようよ。」
「…そうね!お兄ちゃーん。」
「あーー!うっさい!」

去年と同じやりとり。

煮しめと雑煮を作るためにとった出汁の匂いが、1Kの部屋に漂う。

何か分からないキャラクターが付いたグラスに氷とウィスキー、娘のグラスにはレモンを添えて、ソーダを流し込みながら、息子を中心にして、互いの1年を話す。

「母さん身体はどうよ?」
「あ!こないだから眠剤以外は全部やめた!2年かかったけどね。8月で会社も辞めたし。在宅で食いつないでる。」
「まじか!」
「ちょっとしんどい時もあるけど。意外と大丈夫よ。駄目なら家を出なきゃいいから。」
「ああ…電車乗れてるもんなあ。すげー。良くなるもんなんだね。」
「うん。先生にも『早い方』って言われたわ。完治とはいかないだろうけどね。良くなることも分かったからさ。」
「ふーん。いや、俺の友達が同じように病院行くようになってさあ。会社も休んじゃって。」
「そうなん?辛かったんやねえ。」
「みたい。でも『うちのオカンおんなじ感じだったけど、こないだ会ったら治ってた』って言っとくわ。」
「そ、それがその子の励みになればいいけど、あんまりせかせたらいかんよ(笑)まあ…何を以って完治って言うのかも分かんないからね。こういうメンタル系は。本人が『大丈夫』なら『大丈夫』だし。オカンみたいに気が付いたら大丈夫じゃないとこまでいってしまう人もいるし。見た目で判るもんでもないから…とりあえずオカンはこれで様子見だわ。職安の行き方理迦に教えてもらって、今通ってる。」
「あの窓口の人いいでしょ?丁寧で。」
「理迦助かったわー。一緒に行ってもらってよかった!向こうはびっくりしてたよね。『娘さんの次はお母さんが転職ですか?』って。」
「レアケース(笑)しかも子供が親を案内するって。」
「いいの。ハロワの先輩は理迦だから(笑)」
「そうだね(笑)」
「…ねえ、母さん。」
「何?」
「やっぱ大人って長いものに巻かれなきゃいけないのかな。」
「会社?」
「うん。なんかね…」

親子として、人生の先輩として、人として、話をする。年に一度の大切な時間。

皆同じ県内に住んでいるが、一緒に住もうとは思わない。

ただ、いざという時には連絡が行くように、お互い電話の緊急連絡先に番号を登録し、災害時はどこにいても、ある神社に集合することだけは、約束事としている。

大事なのは、距離感。

この距離感が、互いを思いやる時間を産んでいることを知っているから。

「愛憎」という言葉がある。
愛しい分だけ、あまり近くにいると憎しみが湧くのを知っているからこその、距離感。

「家族」という箱の形は、ひとつとして同じものはなく、「こうあるべき」というものも存在しない。

それぞれの形があっていいと思う。

この距離感が、私達家族にはちょうどいい。

「そろそろ行くわ。明日も早いから。イノシシがかかってたら駆除しないと。」
「駆除?」
「お客さんに怪我させるといけないから。これも仕事だ。」
「…蒼はえらいね。」
「イノシシにとっては悪者だよ。母さん、無茶すんなよ。」
「なんかあったら蒼に養ってもらうから大丈夫。」
「無理。」
「嘘でもいいから『任せとけ』くらい言いなさいよ。またね。」

笑いながら玄関へ送り届ける息子の背中と手が、またひとつ大きくなった。

気がつくと小さな台所に立ち、神山羊を唄いながら食器を洗う娘の顔が、また私に似て来たと思った。

画像2

来年はもう少し、子供を安心させてやれるような自分になろう。


帰りの地下鉄に揺られ、鼻に残るジャックダニエルを感じながら私は少し、目を閉じた。

(距離感-Fin-)

読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。