見出し画像

2022 TJARエントリーまでの道のり

TJARとは

トランスジャパンアルプスレース(TJAR)は、日本海から太平洋まで、北、中央、南、3つの日本アルプスを繋げながら、8日間以内にゴールする日本一過酷なレース。距離は415km、標高差は27000m。

2016年に北アルプスを縦走していたときに、たまたまTJARの選手に会い、そのかっこよさに憧れ、それ以降、目指し、2022年大会で完走しました。

幼少の登山経験

経歴として、登山好きの父に連れられ、幼少のころから登山をしてきました。幼稚園年長のときに富士山登頂、小学生のときに、槍穂高連峰、立山・劔、後立山連峰を縦走、また、雪山にも登っていました。中学生のときに、父と憧れの寝台列車、北斗星に乗り、大雪山(旭岳・トムラウシ)を登り、それを最後に、登山から一度離れていました。
ときどき、両親のグループと沢登りをする程度。

走力の向上

2016年時点で、100kmのトレイルランニングは完走していましたが、TJARに向け、大きな課題はロード・ロングトレイルでした。2011年からボクシングジムに通い、2014OYFボクシング大会バンタム級勝利、大会のための減量がロードのきっかけでした。

3RTKO勝利!

走り始めた頃は、腸脛靭帯炎などよくケガをしていました。
100mileもUTMFもTJARも、夢のまた夢という感じでした。

それでも「いつかは出る」と、家族、山・ラン仲間へ言い続けました。
まず、目標としたのは、
①マラソンSub3
②ウルトラマラソンSub10
③トレイル100mile完走。
以下がそれからの結果です。2016年から3~4年でなんとか達成。

一番苦労したのがフルマラソンSub3でした。インターバル、ペースラン、峠走、ロング走、思い出すと厳しい練習でした。2018.12地元埼玉のさいたま国際マラソンで達成したときは、母が途中で応援してくれ、妻娘もゴールで応援してくれてとてもいい思い出です。

目標達成の過程で得られたもの

特別速いわけではありませんが、少しずつ力がついてきました。
”どんなレースでもスタートしたら、必ず完走した”というのが、唯一の自信です。脱水症状になっても、せん妄になっても完走しました。

また、3つの目標を達成したのでいずれも家族が応援してくれたレース。妻娘の理解があってのレース。トレーニングをするなかで、以前よりも増して家族への感謝の気持ちが強くなりました。トレーニングする時間、山に行く時間をくれたことに感謝しています。

画像1
2018 UTMFゴール


画像3
2018 さいたま国際マラソンゴール
画像4
2019 富士4lakeウルトラマラソン

雪山の経験値

走力をあげるとともに、オールシーズンの山でも経験値をあげてきました。

目標としたのは、厳冬期の①赤岳、②西穂高、③爺ヶ岳東尾根登頂。そして、④槍ヶ岳・槍沢バックカントリー。山仲間のいたちゃん・ずやくんとともに経験値を上げました。風速20m/s以上の鳳凰三山で凍傷になりかけたこと、フルラッセルの爺ヶ岳東尾根登頂はいい経験でした。

画像4
厳冬期西穂高
画像5
西穂高ピラミッドピーク
画像8
2021.3 爺ヶ岳東尾根ソロ登頂
画像7
2021.3 爺ヶ岳東尾根ナイフリッジ
画像8
2022.5 槍ヶ岳槍沢バックカントリー

TJARへの準備は完了したか

夏のビバークを加え、選考会への挑戦の準備は固まりました。
それでもまだTJARは夢のような気がしていました。

"何かが足りない"

2020年大会にエントリーする気でしたが、コロナとビバーク回数が足りず断念しました。そして、2020年から延長された、2021年TJAR選考会に挑戦している友人石尾くんの姿をみました。
その時に気付きました。
「足りないのはTJARへ出場したいという気持ち。実際に行動したか・しなかったが大きな差となる」
選考会に
挑戦する石尾くんの姿に胸をうたれ、2022年TJARへエントリーすることを決意しました。2021年ビバーク4回も実施し、フルマラソンのタイムもクリア、上級救命者研修を受講し、2022年書類選考に臨みました。

結果は、「書類選考合格」

合格者は59名。出場できるのは30名。
本戦へ出場するための選考会への挑戦が始まりました。
もちろんそのとき、"本戦へ出場できる"とは思っていませんでした。

続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?