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掌編小説 わらう実

からからからから。からからからから。

また、実が笑っている。窓を開けて、すぐそばにある裏山を仰ぐ。樹の枝に、たくさんの実がなっている。人の顔をした、桃ほどの大きさの実が。ちょうど季節だ。秋風が心地よい。去年結婚し、夫の故郷に移ってきてはじめて、この樹のことを知った。目にしたときは驚いたが、じきに慣れた。このあたりの人たちにとってはふつうなのだ。

この樹では、小さな唇のような薄紅色の花を細い枝のあちこちに咲かせたあとに、小粒の貝のような実がつき、秋から冬にかけてたっぷりと太っていく。その過程で、胴体にあたる部分は縮小していき、最終的に、おなかいっぱいお乳を与えられた赤ん坊のような顔だけが残る。鈴生りは神楽鈴のように実がたくさんついている様だというが、鈴鳴りと言っても間違いではないくらい、触れあった実どうしがさかんに笑い声を立てている。

このあたりでは、この実はもっぱら神様へのお供えにされているらしい。笑い過ぎるとしぼんでしまうし、熟して落ちると霧のように散ってしまうから、その前にもぎとる必要がある。人が食べると、罰が当たると言われている。それは実が人の形をしているからだろうか。

それでも、わたしはずっと食べてみたかった。妊娠してから、食欲の質が変わっていた。それまで好物だったものに魅力を感じることはなく、食べたこともないようなものに関心を強くひかれ、頭から離れなくなることがあった。

この実もそうだ。桃か、ざくろか。あるいはもっと肉に近いものなのか。噛みしめたとき、どんなふうに歯が皮を破って、果肉のなかに沈んでいくのだろう。どんな味が口のなかに広がるのだろう。この歯で、舌で確かめてみたい。

ねえ、とってきてよ。このからだじゃ、樹に登れない。夫に頼んだ。夫はしぶっていたが、やがて闇にまぎれて出かけていった。

帰ってくると、食卓にみっつの実を置いた。実の「顔立ち」は、夫も含めて、この土地の人たちにどことなく似ている気がした。

手に取ると、皮は柔らかくてすべすべしていた。洗うと、皮が手のひらに吸いつくようで、いつまでも触っていたい気がした。食卓に転がしているだけでいい匂いが漂い、うっとり眠ってしまいたくなる。「頬」のあたりに皮ごとかぶりついた。ひときわ大きな笑い声がして、昔、持っていた「笑い袋」を思い出した。意外なほど皮の抵抗がなく、歯が果肉の深いところまで迎えいれられる。時折、ぷちぷちと弾けるものは種だろうか。噛めば噛むほど、ねっとりした甘味が口いっぱいに広がった。やや舌がしびれる感じがある。呑みこむと、なにかわからない力がからだのすみずみまで充填されていく。かじったあとを見ると、果肉は澄んだ紅色だった。夫にすすめたが、首をふったので、ひとりでみっつ一息に食べた。とろみのある汁が腕をつたい落ちた。それも全部舐めとった。

それからは毎日、食べた。季節が終わるまで、憑りつかれたように、われを忘れて食べた。もっと、ちょうだい。もっと、とってきて。

やがて、赤ん坊が生まれた。日々、わたしの乳をその身にたっぷりと蓄えていく。はちきれそうな頬をつつき、甘噛みする。ああ、食べてしまいたい。

赤ん坊が夫によく似た顔で笑っている。そういえば、夫はどこに行ったのだろう。からからからから。からからからから。どこかで実も笑っている。

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ひとが樹になる、そんな世でのお話です。よろしければ、こちらもぜひ。

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