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掌編小説 チル散ル

父母の墓参りの帰りだった。ちりん、と鈴の音が聞こえた気がして目を上げた。

色づいた葉が、鳥のように舞っている。鳥が葉を真似るようになったのか。指揮者のタクトにしたがうように、風に乗って降りてくる。目を細めてよく眺めると、一葉一葉が鳥なのだった。

おおもとの木をたどると、枝が見えないくらい、びっしりと金色に覆われていた。風に耐えようとしているのか、今から飛び立とうとしているのか、全体がかすかにふるえている。またひとつ、木から離れた。

「チルチル?」

幼い頃に飼っていた小鳥の名が口をついて出た。

チルチルは鮮やかな黄色のセキセイインコだった。やってきたのは、何十年も前のクリスマスの日だ。父母も健在だった。保育園に送ってもらった朝、「今日のおむかえは遅くなるからね」と言われていた。日が落ちるなか、ジャングルジムの上から何度も門に目をやった。しもやけが痛んだ。不安になった頃、いつになくふたりが揃って迎えにきた。笑顔の母が円い窓のついた箱を差し出してくる。そこに、光のかたまりのようなチルチルがいた。

名前は、鳥の登場する童話にちなんでつけたのだが、チルチルは初めから自分で名乗るように鳴いた。カラスノエンドウのつるのように、細く滑らかならせんを思った。

チルチルが大好きだった。一緒に遊ぶときは部屋を閉め切ってから、かごを開けた。指に乗せると、小さな足の爪が肌に食い込んだ。チルチルは気まぐれに、家族やわたしの頭や肩の上にとまった。そこで数ミリ程度の丸っこい糞をされるだけで、おかしくてきゃっきゃっと笑った。

あれは、小学校にあがったばかりの初夏の午後だっただろうか。外は気持ちよく晴れて、母親が庭で草木に水をやっていた。開け放った窓や玄関から風が通り抜けた。

学校から帰ったわたしは、チルチルへの挨拶はあとまわしで、その頃夢中になっていた遊びをしようと、ビー玉がたくさん詰まった袋を取り出した。そして、それを両手で揉んでざらざらとした感触を楽しむと、勢いよくテーブルの上にひっくり返した。ぶちまけたビー玉は硬い木材にあたって機関銃のような音を轟かせた。

チルチルがかごから飛び出した。今までに見たことのない速さで、そのまま窓の外に羽ばたいていく。かごの扉も開いていたのだ。

お母さん、チルチルが逃げた。わたしはその場で叫び、靴もろくにはかずに駆け出した。

チルチルの姿はどこにもない。近所の友だちが集まってくれ、普段から仲のいい子も、そうでない子も、みんなで呼びかけて探し回った。

「チルチル」
「チッチ」
「チッコ」
「しっこ」

ふざける子もいたが、構わなかった。裏山や離れた川の方まで見にいったけれど、日が暮れても、次の日になっても、どれだけ呼んでもチルチルは出てこなかった。

お前はばかだ。母親はゆるぎない声で繰り返した。

そう、わたしはばかだ。誰よりも自分自身がわかっていた。あのとき、窓が開いているのはわかっていたのに。かごもちゃんと確かめたらよかった。先にお世話をしたらよかった。チルチルみたいに目立つ色では、きっと大きな鳥や猫にすぐに食われてしまっただろう。ほんとうなら、もっと穏やかな一生を過ごせたはずなのに。

チルチルハジユウニナレテシアワセダッタカモシレナイヨ

なぐさめてくれようとした友だちの言葉が、ちくりと胸を刺した。わたしの家では、チルチルは幸せじゃなかったのだろうか。だけど、わたしがどれだけ考えたところで、チルチルの幸せは、チルチルじゃないとわからなかった。

チルチル、あのときはびっくりさせてごめんね。ずっと大事にしてあげられなくてごめんね。

葉の鳥が、鳥の葉が、舞い散る。気がつけば、あたり一面、金色に光っていた。ひとひらひとひら、地に触れても鳥のかたちを留めたままだ。翼を半分広げたままで、目を閉じて横たわっている。羽毛が風に揺れた。あたりの音が吸い込まれたように静かだった。

涙がビー玉のように膨れ上がり、ひとつ、またひとつと頬を伝い落ちた。その音も、涙とともに吸い込まれていった。驚いて飛び立つものも、目を覚ますものもない。

チルチル、あのとき一緒にいたお父さんもお母さんも、もういないんだよ。

だけど、わたしはいまも変わらず、ばかなままだった。取り返しがつかなくなるとわかっていながら止められなかった出来事が次々に思い出され、無数のチルチルのなかで、もう一歩も踏み出せずにいた。




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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


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