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掌編小説 カオドリ
自分の顔は、自分のもののはずなのに、一生自分の目で見ることができない。鏡に映してみたところで、見たつもりでしかない。
出勤の朝、「どこかに行ってしまいたいなあ」なんて考えながら化粧をしていると、小学生の頃の記憶がよみがえってきた。
もう高学年になっていただろうか。「熱が出た」と嘘をついて、学校をずる休みしたことがあった。その日はそれらしく、一日じゅう布団に転がって手近な文庫本を読んでいた。はやりの推理小説か何かだった。
遺伝のせいもあって、すでにひどい近視だった。眼鏡が痛くて外したけれど、その状態だと本を顔すれすれに近づけないと読めない。両目では焦点が合わないから、片目を交代させながら読む。
すると、不思議なことに気づいた。同じページを見ても、紙の色が違う。左で見たほうが、黄味がかっていた。右、左、かわるがわるまぶたを開いたり閉じたりしてみたが、やはり同じだった。本を遠ざけてみたり、角度を変えてみたりしても。当時のわたしにとっては新鮮な驚きだった。見えるものって、絶対じゃない。当てにならないものなんだ。
視覚がこれなら、他の感覚だって同じことだろう。見ているものと、触っているものが同じかだってわからない。
卓上鏡を前に、日焼け止めクリームを手のひらに伸ばして、顔に塗りつけた。かたく張り出した額、目のまわりのくぼみ、肉づきのよい小鼻。両手で頬を包みこんでじっとしていると、手が頬に触れているのか、頬が手に触れられているのか、曖昧になってふしぎな感じがした。自分が自分だと思っているものも、ほんとうは違うものなのかもしれない。ばらばらだったりして。
窓辺の光が急に射しこんで、目がくらんだ。瞬きのあと、鏡からわたしはいなくなっていた。代わりに、背後に位置するベランダと、その手すりにとまる鳥の姿が見えた。ヒヨドリやカラスにしては大きく、ずんぐりとして見慣れないシルエットだった。
奇妙だ。鏡に顔を寄せて目を凝らした。鳥がこちらを向く。わたしの顔がついていた。まさか。窓の方に振り向くと、鳥はわたしの顔でにやりと笑い、羽ばたいた。
ガラス戸を開けてベランダに飛び出してみたが、遅かった。樹々に紛れたのか、雲に吸い込まれたのか、鳥はもう影もかたちもない。はっとわれに返る。顔に触れようとしたが、あるはずの凹凸はなく、手は空を掻くだけだった。
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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。
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