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掌編小説 ひろいもの

歩いていると、何かを蹴った。つま先が痛んだ。げんこつほどの石だと思ったら、冷たく固くちぢこまった灰色の心臓だった。もってみると予想以上の重さだった。理科で使った分銅を思い出した。ひびが入っていた。蹴ったときに入ったのか。届けようと思った。

まわりの人に聞いてみても、心臓を落とした人はわからなかった。貼り紙をしても、ネットに書き込みをしても名乗りを上げる人はいなかった。知らない人から電話がかかってくることがあったが、いたずら、もしくは悪用をたくらんでいる人からだった。

心臓が「違う」と言ったのだ。冷たく、黒くなって、ぶるぶる震えた。心臓を落としたら困るだろうに、と落とし主を思った。困るくらいの人なら心があるのかもしれず、困らない人には、もともとないのかもしれなかった。

そのうちめんどうになり、あきらめはじめた。知らない人からの電話もなくなった。心臓をもとあった場所に返すこともなく、部屋の片隅に置きっぱなしになった。目には入っているのに、見えなくなった。一年が過ぎた。心臓を届けることはないが捨てることもない。いつしか引き出しの奥にしまいこんでいた。心臓は黒ずんで、しんとしたままだった。

ある日、何かが鳴った。雷が落ちたような音で空気が震えた。窓の外を見ても、いつもの平和な住宅街だ。空は晴れ、穏やかだった。カーテンをひいて、部屋をふりかえる。異変を感じて、気配をたどった。心臓をしまいこんだひきだしのあたりからだった。

ひきだしを開けると、心臓がまっぷたつに割れていた。あっと声がもれた。とりかえしのつかないことをした、と感じた。左右の手にひとつずつもった。断面はでこぼこして、砂のようなものがあとからあとからあふれだした。元通りにくっつけようとしても、くっつかなかった。

なくした人に戻すことなく、だめになってしまった。割れた心臓を手にしてすわりこんだまま、ぼろぼろ泣いた。涙が心臓に落ちた。そのまましみこんでいった。何か復活の兆しがあるのではないかと思ったが、何も起こらなかった。落とし主はもう死んでしまっているのかもしれなかった。もしかして、落とし主はわたしだろうか。自分の胸に手を当てると、拍動を感じた。わたしはまだ生きているし、感じることができる。

わたしは心臓を庭に埋めた。そこにオリーブの苗を植えた。心臓のことを、落とし主のことを、心臓を扱った自分のことを忘れないようにしようと思った。

やがてオリーブが実をつけるころ、わたしはこのことを誰かに話すだろう。


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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


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