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掌編小説 トイレット絵巻

夫が出てこない。通常は一度にひとりしか入れない、自宅内の小さな特別室。そう、トイレである。冷や汗がにじみ、ノックの音も大きくなる。

奇妙な笑い声とともに出てきた夫と、ようやく交代する。便座に腰かけた途端、絵や文字がびっしりとプリントされたトイレットペーパーが目に飛び込んできた。ホルダーをからからとまわし、巻物のように両手に渡して眺める。

なるほど、夫が長居していたのも無理はない。なかなか面白い小説が挿絵つきでプリントされている。のめりこむにつれ、ペーパーを巻き取る手も早くなる。

トイレから出ると夫にたずねた。

「ねえ、あれ何? どうしたの?」
「ああ、あれ? 結構笑えるよな」

小説の作者は夫の友人だった。とある製紙会社が販売する製品のひとつ「トイレット絵巻」の作品公募で、見事入選を果たしたらしい。「記念に」と一セット、十二ロール分を送ってきたのだ。

夫とはちょうど、トイレットペーパーに関してシングル対ダブルの論争をしていたところだったから、一時休戦となりちょうどよかった。経済的観点からシングルを推すわたしに対し、優しい肌触りのダブルを子どもの頃から愛する夫。「トイレット絵巻」はダブルの製品だが、無料でいただいたのだから敵視は無用である。ありがたく使わせていただき、読んだ感想をお伝えするまでだ。

世の中には、贈答用などに意匠を凝らしたトイレットペーパーがあるのは知っていた。高級素材、美しい色、遊び心のある柄。小説を扱ったものもあるとは聞いていたが、そんなに公募が浸透していたとは思ってもみなかった。

気になりはじめると「トイレット絵巻」は、スーパーやドラッグストアでも、やけに目につくようになった。気負わず手に取れるし、読み終えたら罪悪感なく処分できる。トイレの滞在時間を読書に充てたい人にも、何かを物語りたい人にも、ちょうどいいのかもしれない。

そんなある日、宅配便が届いた。先日、定年と同時に退職された部長からだった。みんなでお祝いを送ったので、そのお返しがそれぞれに届いたのだろう。ひと抱えあるわりには軽い。

包みを開けると、例の「トイレット絵巻」だった。部長に小説執筆の趣味があったとは驚きだ。ジャンルはなんだろう。歴史ものあたりか。ひとつ取り出し、読みかけて息を呑む。

「ん? 部長の顔写真?」

これはまずい。歴史は歴史でも、どうやら部長の「自分史」のようだ。この製品に自費出版部門まであったなんて。

それにしても、あんなにお世話になってきたのに、用を足したあとにこれで拭くなんてできるだろうか。できるわけがない。踏み絵よろしく、何か試されているのだろうか。いや、いつも謙虚な方だった。きっと部下への配慮でこのような形にされたのだろう。ああ、どうしよう。ご本人にお返しするわけにもいかないし、個人情報満載の品を他人に渡すわけにもいかない。「ごみ」扱いもはばかられる。

途方に暮れながら、一緒にお祝いを送った同僚たちと相談する。

「お焚き上げはどう」
「そうしよう、そうしよう。お正月あたり、お守りなんかと一緒にね」

心の痛まないお別れ方法を見つけたわたしたちは、新年早々、大量のトイレットペーパーを抱えて嬉々として神社に向かう。

地面に大きく掘られた穴からは炎が上がっている。いざ、放り入れようとして、はっとする。お札やお守りよりも、うずたかく積み上がるものがある。まごうことなき「トイレット絵巻」だ。もちろん、部長のものではない。みんな考えることは似たり寄ったりということか。贈る側も、受け取る側も。そうだとするとこれは毎年繰り返さなければならない行事になるのだろうか。色とりどりの人生の写しが、炎にまかれ、煙とともに昇天する様を、同僚たちとぼうぜんと眺めた。

「トイレット絵巻」の会社が倒産したというニュースを目にしたのは、それからほどなくであった。きっかけは会社役員の不正だったが、そこから環境汚染の問題も発覚し、イメージ悪化からの客離れはあっという間だったという。「人体や環境に有害なインクを使っていたらしいよ」「出版をエサに、だいぶあくどくやっていたみたい」 しばらく、みんなが噂した。

「トイレット絵巻」が姿を消してからは、トイレットペーパー売り場もすっきりした。当時は色柄や文字が目にうるさかったが、今ではピンクやブルーなどの淡く穏やかなものを除き、ほぼ白の無地である。

週末の買い出しでカートを押しながら、ひさしぶりに夫と商品を選ぶ。

「ねえ、シングルでいいよね」
「え、ダブルにしてよ」

この問題も、白紙に戻ったのである。


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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


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