見出し画像

掌編小説 みつあめ

「秋のバラが咲き始めたから、夜の公園でピクニックをしようよ」 そう恋人と約束をした。

当日、急な残業をやっと終えて待ちあわせのバラ園に着くと、もう鈴虫が鳴いていて、暮れなずむ空の下、彼女がベンチに腰掛けているのが見えた。昔の女学生みたいに、三つ編みを両肩から長く垂らしている。片方の毛先はなぜか口の中だ。

だいぶ待たせたので、手持無沙汰だったのだろうと思ったが、そればかりでもないらしい。まぶたを閉じ、うっとりとした表情でいつまでも舌先を動かしているようだ。ぼくの到着にも気づいていない。

こくん。小さく喉が上下したのを見届けると、肩を軽くたたいて隣に座った。彼女はようやく目を開け、まだ半分夢の中にいるようにこちらを見る。ぼくは遅くなったことを謝り、茶化すように告げる。

「三つ編みなんて舐めて」
「だって、お腹すいちゃったから」
「うん、おいしそうにしてた」
「そう、おいしいの」

ぼくにも味見させてよ。もう一方の三つ編みを手に取り、口づけた。栗色の細い髪はたっぷりとしなやかだったが、生きものの毛束というよりは、繊細なガラス細工のような感じがした。すぐそばのバラのせいなのか、かすかに花の蜜のような香りがする。三つ編みに触れた自分の唇が甘い。蜂蜜入りの紅茶、縁日の綿菓子などが思い起こされた。少しからみつくようなところがあるのに、すっとどこかに行ってしまいそうな。

「ね?」

笑いかけてくる彼女も、どこかに行ってしまいそうな気がした。かき抱いて、額に、頬に、口づけをふらせる。唇をあわせると吐息も甘い。この甘さはどこからくるのだろう。しだいに、そんな疑問はどうでもよくなる。ただただ甘さを味わい、浸っていたい。鈴虫の声が小さくなる。さまざまな感覚がどこかへ消えていく。

ずいぶん遠くまで旅した気になり、心もとなくなって目を開けた。いつの間にか彼女はさらさらと崩れてしまっていて、粒の細かな結晶の山が月明かりに白く光っていた。



*****
短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?