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掌編小説 砂のみ

少々体質の古い会社に勤めている。

定年間近の課長は「男女平等」を掲げているが、いわゆる「お茶くみ」は、依然、わたしの役目となっている。朝は誰よりも早く出社して準備し、管理職や来客の姿があれば、タイミング良くのみ頃のお茶をお出ししなければならない。

わたしを育てたお局様はとっくに退職している。新卒の男性社員が入ってきたときにバトンタッチを試みたが、だめだった。自動販売機の設置やペットボトルの活用も夢のまた夢である。

わたしが主担当の仕事でもみくちゃになっているときに、担当外の会議のために「昼イチ、五人だから。よろしくね」と軽く言い渡されることもしばしばだ。

そのときが訪れると、わたしはのれんの陰の水屋をめがけて走り、用途に応じた茶葉を手に取ると、ポットの熱湯と冷凍庫の氷、それからお局様直伝のテクニックを駆使して任務を遂行する。

昼休み、苛立ちを隠せないわたしに、別部署の同期が差し入れをくれた。重みのある箱を開けると、スティックシュガーのような細長い小袋がぎっしり詰まっている。中身は緑色だった。

「わー、ありがとう。これお茶? 青汁?」
「砂だって。色別の効き目があるらしいよ。ちょっとのんでみたら」

緑は、気持ちがすっきりして良いアイディアが湧いてくるという。砂なので湯水に溶けはしないが、片栗粉のようにきめ細かく、抹茶の香りづけがしてあるので、そこまでのみにくいことはなかった。滅菌されており、変にお腹をくだすこともない。

のみ続けて数日経った頃、出勤時に海沿いの道を自転車で走っているとひらめいた。

「そうだ、課長に仕返ししてやろう」

自転車を停めると、近くのゴミ箱からペットボトル容器を拾いあげ、浜の砂を詰めた。消毒などするものか。

朝一番、課長の湯のみにさらさらとひとつまみを入れ、何食わぬ顔でにっこりと差し出した。課長はすぐに口をつけ、ずずっと音を立ててすする。

「美人のいれてくれるお茶はやっぱりうまいなあ。はっはっは」

セクハラめいた発言も欠かさない人である。よその会社のようにちゃんとした相談窓口などない職場だ。しっかり戦わないと。

思惑通り、その日、課長は顔色がさえず、部長との打ち合わせの最中に何度もトイレに立っていた。ちょっと悪かったかなと思ったが、これしきで手をゆるめては増長させるだけだ。そう、うまくいけば、自分のお茶くらいは自分でなんとかしてくれるようになるはずだ。ふっふっふ。わたしはちょっとずつ砂の量を増やしてのませ続けた。

数週間が過ぎ、砂の量はティースプーン山盛り一杯にまで増えていたが、課長に文句を言われることもなかった。だが、いつも通りにスプーンで砂を投入した瞬間、急に後ろののれんが開いた。課長だった。怪訝そうに尋ねてくる。

「今のそれ、何を入れたんだい」
「あの……その……」

わたしはパニックになった。「クビ」が頭をよぎる。しかし、ここでまたひらめきが訪れ、しおらしくうつむいてみせた。

「しばらくお体の調子が悪そうでしたので……少しでも良くなられるようにと」
「これ、砂だろう」
「ええ。課長のための特別な砂なんです。実は、わたし自身ものんでおりまして」

課長に向き直り、制服のポケットから自分用の緑色のスティックを取り出して振ってみせる。

「そうだったのか! そこまで気遣ってくれていたとは……お礼は必ずさせてもらうよ」

そう言うと、課長は上機嫌で去っていった。緑色の砂のおかげで、窮地は脱した。加えて待遇が良くなるなら、ありがたい。とはいえ、心臓に悪いので、これを機会に課長のお茶に砂を入れることはやめた。ほどなく課長は調子を取り戻し、何も知らずに「きみのおかげだ」と感謝してくれた。お茶くみの日々は続いた。

ある日、いつもの早い時間に職場に着くと、もう課長が来ている。わたしの机の上ではお茶が湯気を立てていた。なんとなく桃の甘い香りがする。

「えっ、課長がお茶をいれてくださったんですか。ありがたくいただきます」

いったいどういう風の吹きまわしだろう。一口含むと、舌にざらつく感触があった。明らかに砂だ。課長がうれしそうに近づいてくる。

「味はどう? ピンクの砂、縁結びに効くらしいぞ」

噴き出しかけたわたしの目の前に、さっとA4サイズの白い封筒が差し出された。

「わたしの長男の釣書と写真だ。きみみたいなお嫁さんを待っていたんだよ」
「いえいえ、滅相もないことで」

まっぴらごめんだ。必死に封筒を押し返そうとしたが、びくともしない。わたしは声の限りに叫んだ。

「違うんです! 心の底から嫌なんです!」
「はっはっは。そんなに照れなくてもいいじゃないか。そうそう、砂なんだが、きみに教えてもらってから、ずっと自分でものみ続けていてね……」

わたしは暴言を放ち、手足を振りまわして攻撃したが、相手は動じない。出勤してきた新人くんに「先輩、課長をサンドバッグにするのはやめてください!」と羽交い絞めにされ、あえなく敗退した。

課長は「じゃあ、よろしくね」と言い残し、ゆうゆうと自席に戻っていく。いったい、どんな砂をのんだのだろう。




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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


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