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掌編小説 寒天みたいな

幼なじみのユリエちゃんが、失恋をしてから寒天みたいになった。

ユリエちゃんは「黒髪のバービー」と呼ばれるほど端正な美貌で、社会人になってもずっとちやほやされていた。わたしが知るかぎり、彼女は容姿を武器に会話やスキンシップを巧みに駆使して、狙った相手を「百発百中」でしとめてきたはずだ。そのあとは飽きて乗り換えるか、同時並行でつきあうかしかなくて、相手から振られるなんて初めてだった。

ユリエちゃんは正体なく泣いているうち、とろりと溶け出して透きとおり、ついに輪郭までなくしてしまったらしい。ひとりでは自分自身を保っていられず、わたしを拠りどころとするようになった。二十四時間、どこからでもするするとやってきて、わたしにおぶさってくる。

「ねえ、聞いて」「聞いて」「聞いてよう」

わたしが眠っているときでも、三軒隣から壁伝いにやってきて、窓の隙間から部屋に滑り込んでくる。仕事中であってもおかまいなしだ。うっかり彼女からの電話をとってしまうと、受話器から、わたしのすみずみまでしみ込んでくる。耳の穴はもちろん、目鼻や口、毛穴という毛穴を通じて。わたしは寒天寄せならぬ、ユリエちゃん寄せの状態となり、息ができず、身動きがとれなくなる。

一方のユリエちゃんは、人の形になると少し落ち着くのか、数十分から数時間たつと、またするするとわたしから抜けて帰っていく。わたしは脱力し、深く呼吸をする。

一カ月が経っても、ユリエちゃんはなかなか元通りにはならなかった。始めは助けになるならと思って身を差し出していたわたしも、毎日このようなことが繰り返されるうち、耐えられなくなっていた。このあたりで、線を引かないといけない。そして、ユリエちゃん自身に気づいてもらわないといけない。人生には、たとえつらくても、ひとりで自分と向きあって消化しなければならないこともあるのだと。

心を決めたわたしは、ユリエちゃんの気配を感じると、いないふりをするようになった。部屋の窓はすでに隙間をテープでふさいである。ベッドの上で座禅を組んで目を閉じ、無になる。

そうしていても感じるのだ。寒天みたいなユリエちゃんが窓ガラスに薄く広がって張りつき、もう一枚の窓のようになってじっと見つめているのを。サッシが細かく震えてかたかた音を立てる。机の上の携帯電話が、ユリエちゃんからの着信を知らせつづける。去りそうもないと、わたしはチャンネルを切り替えるように目を開ける。それからわざと明るく大きな声で「さあ、コーヒーでもいれようかな」などと言いながら、階下のリビングへと向かう。気づかないふりをして。さすがの彼女も家族がいるところまでは追いかけてこない。

しばらくして、ユリエちゃんはようやく察したのか、ぱたりとやってこなくなった。

また一カ月ほど経った頃、偶然、近所の商店街で行きあった。ユリエちゃんは人の形に戻っていた。

「ユリエちゃん」

思わず手をあげて声をかけたが、ユリエちゃんは目をふせると、そのまま通り過ぎていってしまった。人の形に戻った彼女は、相変わらずきれいで、後ろ姿でさえ誰よりもくっきりと目立っていた。その艶のある髪やすんなりしたふくらはぎを、わたしはただ見送った。行き場をなくした手を下ろして。

それ以来ずっと、ユリエちゃんからの連絡はない。拒んだのはわたしなのに、寒天みたいなユリエちゃんの訪れを毎日思い返してしまう。ユリエちゃんがしみ込んできて同じ体温になると、ふたりが溶けあったように境い目がわからないほどだった。ひとりの頼りなさを補強してもらっていたのは、本当はわたしのほうだったのかもしれない。

やっぱりわたしが間違っていたのだろうか。幼なじみを見捨てるようなことをして。落ち着かなくて携帯電話に手を伸ばす。指先が透きとおり、ふるふると溶け始めている。



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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。


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