掌編小説 ベイビーカステラ
コロコロオギャー。
今日も、うまくベイビーカステラが焼けた。甘い匂いが鼻先に流れてくるだけで、なんでこんなに幸せな気持ちになれるんだろう。
オーブンを開けると、ずらりと並んだベイビーたちがこちらを向いた。見るからにふわふわではちきれそうだ。庫外の空気に触れると、すぐにしぼんでしまうのが残念だ。
材料の基本的な配合は変えない。自分なりの黄金比を見つけたから、ずっとそればかりだ。やわらかな黄色い生地を、天板に水玉を描くように等間隔でしぼりだしていく。
ある日、アレンジしてみようと思い立って、ひとつ材料を加えてみた。それだけで、まあ、違う顔つきのベイビーになった。頬っぺたがぷっくりとして愛らしい。次は、加える材料を別のものに変えてみた。きめ細かで弾むような生地を噛んでみると、風船を割ったときのように空気が飛び出した。バターとはちみつの混じりあった香りは、口から鼻へと、トンネル遊びをするように抜けていった。
楽しくなってきて、あれもこれもと欲張って混ぜ込んだ。オーブンに放りこんだあと、部屋でわくわくしながら焼き上がりを待っていた。今日は天気もいいし、焼きたてをもっていって公園で食べようか。うまく焼けたら、きれいにラッピングして、友達におすそわけするのもいいかもしれない。
変な音が聞こえて、耳を澄ませた。台所からだ。ぶつぶつ、ぎりぎり、キーキー、どろどろ。以前、ニュース映像か何かで見た、火山から流れるマグマの様子が思い浮かんだ。
駆けつけてみると、いつものように小粒で行儀よく並んだベイビーたちはいなかった。一体の大きな「ベイビー」が、オーブンの扉からあふれ出していた。手とも足ともつかないふくれたものをさざなみのように動かして、こちらに這ってくる。
身動きができずに、立ちすくんでいた。ベイビーはどんどん大きくふくれあがり、ついにわたしの背丈ほどになった。立ち上がり、わたしに抱きつこうとした。熱気がかぶさってくる。あわてて目をつぶった。
「ママー」
頬に熱いものがびたっと張りつく感じがした。それだけだった。目をあけると、なま焼けの生地がそこらじゅうに飛び散っていた。
頬の火傷の跡はしばらく消えなかった。その日のレシピは、まだとってある。
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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。
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