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掌編小説 花ふる里

桜になって三百年が経つ。

里のみんなの姿が見えるよう、山の中腹に植えてもらって、もうそれだけになる。

毎年、春がめぐると、子どもたちや親族がわたしのもとに集まった。花を見上げては、その年の豊作を占い、宴をひらいた。代がかわって、子や孫を見送ったあとも、その子どもたちがやってきた。かわいがっていた金魚や何かが命を終えると、根元に埋めにきた。その魂も吸いあげ、また咲いた。

ある晴れた日、どこかで大きな音がした。それから、何もなくなった。無声映画のように、何も聞こえなくなった。

誰もいない。わたしはひとりになったのか。それでも、今年こそは誰かがやってくるのではないかと、繰り返し花をつけた。

だが、今度の春が最後になるだろう。もう疲れていた。病が蝕み、花のつかない枝もあった。かまわない。どうせ喜ぶ顔はないのだから。

まばらなりに満開を迎えた。

どこからか薄墨色の犬がよろけながらやってきた。ほんとうは白い犬なのだろう。濁った目をして、鼻が乾いている。

犬はわたしの根元にうずくまるとまぶたを閉じた。樹皮を通して、かすかな温かみと重みが伝わってくる。まだひとだったころ、ともに暮らしていた犬にどこか似ていた。腹の上下する様子が、徐々にゆるやかになっていく。

穏やかな風が枝をゆする。おやすみ、おやすみ。犬に毛布をかけるように、そっと花びらをふらせる。

おや。ひとひらの花びらが舞い込んだ。わたしのものではないようだ。あたりを見渡す。気がつけば、桜がいた。近くの丘に、遠くの山に、点々と。光の粉をまぶしたようにちらちらと瞬いている。

応じるように枝をふるわせた。先の方までゆっくりと水が通っていく。顔を上げた犬が、きゅうと鼻を鳴らした。


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yaya☆さまが声劇として拙作「花ふる里」に命を吹き込んでくださいました。

【一人声劇】「花ふる里」

yaya☆さまのあたたかなお声を通して、命の源のような大きな存在が語りかけてくれるようです。
yaya☆さま、素晴らしい作品を本当にありがとうございます。

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