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事あるときは幽霊の足をいただく!【長編小説】第3章 第8話 (2) その刃が向かう先

前話までのおさらいはマガジンで読めます。


第1章第1話はこちらから読めます。



【真之助視点】

「これはどういうことか説明してくれるか?」
 
 宮下君が机にドンッと両手をついて、詰問口調で責め立てたが、友人A君は椅子の背もたれに体を預けたまま、俯いている。

「待てよ、こんなの誤解だって!」

 みんなの冷ややかな視線が友人A君に送られているのを見て、真が椅子を弾いた。今にも噛みつきそうな宮下君と、だんまりを決め込む友人A君の間に体を割り入れる。

「友人Aが財布を盗むはずないって。何かの間違いだ」

 真は宮下君の神経を逆立てないように用心深くなだめるように言った。立てこもり犯を逆上させないように説得する交渉人のようだ。

「オレたちは今まで体育の授業だったんだぜ? 財布を盗む暇なんてこれっぽっちもなかっただろ」

「だったら、芦屋君のカバンから財布が出てきたことはどう説明するつもりだ? 彼が犯人だという証拠じゃないか」

「外部の人間がやったんだよ」

「財布を盗まれた君がよく呑気なことを言えたな」

「崎山」

 真を見つめる坂本君の顔に同情の色が浮かんでいた。思わず耳を傾けてしまうほど低く落ち着いた声が教室に広がる。

「崎山が芦屋君をかばいたい気持ちはわかるよ、オレだって信じたくない。でも、外部の人間がわざわざ芦屋君のカバンに財布を入れるかな。彼は体育の授業を抜けているんだ」

 そして、平沢君に水を向けた。

「平沢は芦屋君と一緒に保健室に行ったはずなのに、どうしてひとりで体育館へ戻ってきたんだ?」

 平沢君はモンスターでも見るかのように友人A君の顔色を窺いながら、躊躇ためらいがちに応えた。

「保健室に着いた途端、芦屋さんがひとりでいなくなちゃったんだ」

 それはつまりアリバイがないということだ。

 保健室は三年一組の真下に位置しているから、そこから階段を使って教室まで直行すれば一分とかからない。

 状況的に友人A君が不利なのは動かしがたい事実で、さらには財布がカバンから見つかっていることが致命的だ。

「友人Aはトイレに行っただけだって、みんなで聞いただろ? だから遅れて授業に参加したんだ!」

 真っ赤な顔をして反論する真に、私は鉄扇で涼やかな風を送った。

「そんな嘘を信じるなんて本物の馬鹿なのか君は。彼はナイフの芦屋なんだぞ!」

「何だと!」

 軽蔑のこもった口調で息荒いた宮下君の胸ぐらへ、真の左手が真っ直ぐに伸びた。宮下君を殴るために右手が引かれる。残念ながら私の親切心は功を奏さなかったみたいだ。

 女子生徒の悲鳴が洩れたとき、

「やってらんねえ」

 友人A君が静かに席を立った。自分の荷物をカバンへ戻し、そのまま教室を出ていこうとする。
  
「どこに行くんだ。まだ話は途中だぞ」
 
 できの悪い生徒を怒鳴り散らす学年主任の先生のように宮下君が声を投げつけると、友人A君は振り返った。
 
 すると――。

 クラスメイトたちは息を呑む。
 
 友人A君の優しげに下がった目尻が、剣呑で殺気だった目つきに変貌していたのだ。
 
 それはまるで鈍色に光る冷たい鋭利なナイフ。

 噂に聞くナイフの芦屋の降臨だ。
 
 先ほどまで友人A君へ向けられていた冷ややかな視線は、彼のナイフを前に跳ね返されてしまった。
 
「家に帰ってメシ食って寝るんだよ」
 
 そう言い放ち、彼は教室をあとにした。
 
「友人A!」

 私は、友人A君の広い背中を追いかける真の小さな背中を追った。

 階段を下り、昇降口へ差し掛かったところで、友人A君はぴたりと足を止めた。

 息を切らした真が訊ねる。

「どうして、やっていないと否定しないんだよ?」

「職員トイレでウンコしていたと正直に話せって? 冗談じゃねえ」

 友人A君は背中で真と話し続ける。

「ウンコくらいで恥ずかしがるんじゃねえよ。一緒に教室に戻って、ちゃんとみんなに説明しようぜ」

「恥ずかしがってねえよ。あいつらの顔を見ただろ、例えオレが否定したところで誰も信じやしねえ。オレはそういうことをしてきたどうしようもないやつだからな」

「沈黙は肯定だって言うだろう? ここまま家に帰ったら、全部お前のせいになっちまうぞ」

 押し黙る友人A君に、真が返事を催促して、「なあ!」と苛立たしげに叫んだけれど、友人A君は構わず歩き出した。

 真は逃がすまいとあとを追う。
 
「帰るなよ」 

「うざいんだよ、付いてくんじゃねえよ!」

 昇降口に窓ガラスを震わす怒号が響いた。パタパタと複数の足音が近づいてくる。目と鼻の先の保健室と同じ並びには職員室があるから、不審に思った先生たちに違いない。

「お子様は早く教室に戻りな」

 友人A君は掠れ声を残して、逃げるように立ち去った。

「子供扱いすんじゃねえよ」

 憤慨する余裕もなく、真は呆然と立ち尽くしたまま、友人A君の背中を見送った。

 人は心にナイフを隠し持っている。

 一見、幸せそうに微笑んでいても、本当は泣き出したいのに無理やり笑顔を取り繕っているだけかもしれないし、居丈高いたけだかに怒っていても、本当は自分の弱さに絶望して、他人に当たり散らしているだけかもしれない。
 
 そんなとき、人は心の奥に隠し持ったナイフを握りしめるのだ。
 
 それは単なる護身用なのかもしれないし、他人を傷つけるための道具なのかもしれない。
 
 使い方は人それぞれだけれど、本当の気持ちを押し殺すことは素手でやいばを握りしめているのと同じこと。ナイフは諸刃もろはの剣であり、他人も自分も傷つける凶器となりえる。
 
 ナイフの芦屋が心に隠したナイフは誰に向けられたものなのか。それは彼にしかわからない。
 
 ただ、友人A君の前に回り込んだ私だけは知っている。
 
 彼が真以上にひどく傷ついた顔をしていたことを。

「今のは友人A君の本心じゃないよ。青春に喧嘩はつきもの。ああ、若さが羨ましいな。私はおじいさんだから」

 私は飄々と笑ってみせてから、また鉄扇で扇ぐ振りをした。

 真に吸い寄せられるように集まってくる元凶たちを追い払うために。生まれて間もない元凶は個々のエネルギーも弱く、風を起こせば、雲のように散らせるのだ。

 私のナイフは真を守るためにある――。

 ところが、友人A君の向けたナイフが思わぬ結果を生むことになった。
 
 生徒の独断で実行した持ち物検査の報告を受けた聖子先生は、生徒たち全員を叱責したあと、怒髪天どはつてんを衝く勢いで「警察を呼んで、指紋を調べてもらいましょう」と公言した。

 すると、ぽっちゃり背中が小刻みに揺れ出した。

 平沢君が震えている――。

 

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