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【1/4】教師を全力で目指していた大学生が地方公務員を経てITメガベンチャーに就職するまで

こんにちはソーシャルアーティストの川那です。

私自身、結構変わった経歴のため、誰かのキャリアの参考になればと思い、
大学生から転職を経て現職に就職するまでを振り返ってみたいと思います。

<こんな方にオススメ!>
・公務員を目指す学生
・現役の公務員
・今後公務員への転職を考えている民間の方
・企業の人事担当者
・キャリアコンサルタント

1/4「エピローグ」

将来の夢、それは

さて、子どもの時に一度は考えたことがある「将来の夢」。
皆さんの当時の夢はなんでしたか?

私の将来の夢はずーーーーっと「教師」でした。

夢の発端は高校受験。
高校受験の中で面接があり、
面接官に「将来の夢はなんですか?」と聞かれました。
当時、夢はなかったのですが、
そうも言えないので、即席で絞り出した答えは・・・・・「教師」
なんでそう答えたかは今となっては思い出せませんが、
子ども達と一緒に夏休みがあるとか、なんか一緒にふざけられて楽しそうとか、はたまた”面接官ウケ”を狙ったのかもしれません。
それが私のキャリアの始まりでした。

言葉にすると進みだす

不思議なもので、言葉にしてみるとその気になるのが人間。
高校に進学した私は、もう「教師になる」ことしか考えていませんでした。
私立高校の普通科に入った私は、初めての三者面談で当時の担任に、
「教育学部に行きたいんです!」と高らかに宣言したことを覚えています。
高校1年生の初回の面談ですよ?(笑)

そして高校2年生に進学した私は、
そこで思わぬ現実を目の当たりにします。

模試で〇〇判定?!

高校2年生の模試からは志望大学を記入することができます。
ドキドキしながら第1志望の某教育大学を記載し、結果を待ちました。
結果・・・・・

「A判定」

・・・・( ̄▽ ̄)・・・・・・?
その後の模試もほぼ全て「A判定」

模試のA判定なんて都市伝説だと思っていたので、
正直拍子抜けしてしまいました。
これが良くなかった。
教育学部にいかに行くかしか考えていなかったので
学部を上げる事もなく、大学のランクを上げる事もなく、
「余裕じゃん」と思う高校生。

「このまま行けば希望の大学に入れるんだから早く時が経て」と思いながら惰性のように過ごす高校3年間
本当勿体なかったし、つまんなかったなー・・・・
今思えば別の進路も検討するとか、視野を広げるとかやれることはいくらでもあったと思いますが、学校生活なんてそんなもんですよね。
でも人間、油断したら必ず災いが待っていますwww

案の定、大学受験に失敗する

自信満々の高校生。
志望校を一度も変えることなく受験期を迎えます。
余裕だろうと思った結果はまさかの不合格
試験発表の帰り道、頭が真っ白になったのを覚えています。
親にダメだったってどう言えばいいんだろう
そんな感覚でした。
当然です、今までA判定の模試を毎回のように渡していたのだから・・・
本当に蒸発してしまいたい気持ちでした。

そこから始めて窮地立ちます。
必死で近隣の教育学部を探し、
幸い専門科目と小論文だけで後期試験を受けられる大学が岐阜にあることがわかりました。
小論文に関しては読書感想文レベルだったので、先生を捕まえて、ひたすら添削大会。3年間の高校生活で一番先生と話した2週間でした(笑)

正直後期試験になった瞬間、浪人を覚悟しました。
(受かると思っていたので私立大学を一つも受けていなかった←どんだけ自信があったんだwww)
緊張の結果発表。
なんとか滑り込みで合格し、教師への夢をキープします。
今だから言えますが、裕福な家庭じゃなかったし、私立高校で、すでに負担かけていたので予備校浪人という選択肢は不可。
・・・・落ちてたら精神病んでたんじゃないかな?
たかだか大学受験ですが、それくらい視野が狭いって怖いですし、
生きがいを一つにコミットし過ぎるのは危険だったなと思います。
同じように進路に悩んでいる高校生、浪人生がいたら是非お気軽に連絡くださいね。

あれ?なんか違うかも

滑り込みでしたが、念願の教育学部の教員養成課程に入れたので、
あとはもう、教師になるだけ。

入学後は、思考のステージが変化し
「教師になりたい」から「どんな教師になりたいか」に変わります。
・具体的にどんな指導をして
・子ども達からどのように見られ
・学校でどんなことをしたいか
そんな風に考える機会が増えてきます。

そこで「あれ?」・・・・と違和感。
具体的に自分が教師をやっている姿がイメージできないのです
同級生はこんな先生になりたいとか、
具体的に憧れている先生がいたりとか、
割とクリアに働くイメージができている人が多かったのですが
自分はすっからかん
元々の動機が高校入試の面接でなんとなく喋った将来の夢がそれっぽく自分の中に残っていただけなのだから中身が薄いのは当然でした(笑)

今思えば「教師になること」をゴールに設定していた私にとって、教育学部に進学した時点で教師になれることはほぼ確定したので、一種の燃え尽き症候群のような感覚だったのかも。

こういう感覚はひょっとしたら大学生に多いのかもしれません
「薬学部に入ることが目標だった」
「医学部に入ることが目標だった」
「〇〇大学に入ることが目標だった」
みたいな感じですね。
大学進学で燃え尽きるくらいなんだから
やっすい夢だったなあ・・・と今は思います。

そんな違和感を感じながらも、
教師の夢をあきらめる程の強い違和感ではありませんでした。
いくら中身がなかったとは言え、
高校3年間それだけを目指して頑張れたほど教師になりたかったはずなので、
・何か自分の中に教師になりたい動機があるはずだ
・今は気が緩んでるだけで就職が近づけば教師になりたくなるはずだ
・教育実習に行けば変わるかも!
と、無理やり教師になりたい理由を探すという本末転倒な大学生活が始まりました。

大学へ通う動機がストリートダンスにすり替わる

そんな状態で過ごす大学生活で勉学に没頭できるはずもなく、
ぶらぶらしていた私はひょんな事からストリートダンスに出会います。
これが本当に楽しかった。

これまでのストーリーをご覧になった方ならわかると思いますが、
基本的に普通すぎる私は自己肯定感のかけらもありませんでした。

何かで一番になる事もなく、
運動部もなんとなく所属し、
学校での勉強は大人への繋ぎ、


1位が理想ではなく、10位まで選べるなら8か9位くらいをあえて目指して落ち着いているタイプ。
なんなら抜けそうになるとわざと手を抜く人でした(やな感じ笑)。

他者と比べることで自分を定義してきた自分にとって
勝ち負けではないダンスの世界は新鮮で、
能力というスペックではなく、
個性という内面を称え合うことがこんなにも素敵な行為なのかと感動しました。

タイムや成績を競う競技なら
「あいつあんなにムキになって〜」「練習してる割にタイム伸びないね」
と茶化されるのが気になってしまい手を抜く私も

周りの目や指標という概念が存在しないダンスの世界では、遠慮なくのめり込むことができました。

もはや大学に通う動機は「ダンスの練習をするため」にすり替わっていました(笑)

幼少期からの自己肯定感の低さとダンスを通じてそれを開放する話は少し長くなるので下記のインタビュー記事をご覧いただけたらと思います。


やりがいを求めた教育実習

さて、教師になる理由を無理やり探すという本末転倒なミッションを背負って過ごした大学生活、
結局ダンスにハマってしまい思考をすり替えて逃げてきました。
そんな私に、時間は容赦無く迫ってきます。

いよいよ教育学部の本丸、
教育実習のシーズンがやってきました。

教育学部の教員養成課程では
小・中学校(希望者はさらに高校or幼稚園)に1ヶ月間ずつ実習に行きます。

教育実習自体はとても楽しかったです。
学校や子どもは好きですし、教えるという行為は結構得意で、
人一倍苦労することなく過程をクリアしていきます。
教師にはなりたいけど向いてないと気付いて悩む実習生もいる中で、
私は教師に向いているなーとすら感じていました。
ただやはり、教師という仕事そのものの意義ややりがいについては現場に入り込んでも私なりの明確な答えが見つからず、
どこか冷めていたように感じます。

思ったよりも精神的に余裕があった私は、
教師の意義を探すために児童生徒側の視点にも立ってみようと試みました。

教育実習生というのは絶妙な立ち位置で、
児童生徒からすると教師と友人の中間のような存在です。
よく児童生徒と仲良くなりすぎて怒られている実習生がいましたが、
折角の実習なので、ある程度教師ではない立場で児童生徒と接することは非常に有益だと思っています(実際に教師になっちゃうとリアルな声ってなかなか聞けないですからね)。

ざっくばらんに今の児童生徒のリアルを探りに行きました。
そしたら出るわ出るわ、、、、学校生活のリアル。
もう時効だと思うのでいくつか挙げると

・美容師(20代?)と付き合っている○学生
・虐められている子
・虐めている子
・家庭内暴力
・金品のやりとり
・ネットの出会い etc....

どうせ私に教えても1ヶ月で居なくなるから(笑)
と仲良くなった児童生徒が色々な情報を教えてくれました。

衝撃を受けたと同時に悲しくもなりました。
これらの事実が教師側に立つと全く見えないのです。
もしかしたらこの子たちの親ですら見えていないのかもしれない。

そんな世界を垣間見て、
いやいや勉強教えてる場合じゃないぞ?!><
とさえ思いました。
と同時に自分が教師になったとして、この子たちの為に何かできるのか?と自問自答しました。

できないことはないかもしれない、
しかし、他の世界を覗かずに教師一筋で歩み続けた私の人生では子どもに寄り添うにはあまりにも人間として薄っぺらかった
強烈な無力感を感じました。

強烈な感情は心の底にどっしりと居座り続け、
多くの実習生が感動で涙する実習フィナーレのお別れの時ですら、
涙は流れませんでした(一応児童生徒が泣かせようと一生懸命工夫してくれるので泣いたフリだけしてました。ごめんよ)。

実習が終わる事には、私は教師への道を完璧に諦めていたのです。
「中途半端な気持ちで行く場所じゃない。」
少なくとも今の自分ではこの世界に100%コミットできる自信はありませんでした。

乗れなかった就活前線

そうは言っても、大学生活が佳境を迎える時期にトータル約3ヶ月間も実習に行っていた私が、実習後に「教師にならない!」と言ったところで、どうすればいいのか。
とりあえず就活!!と思って慌てて調べるも、
今から自己分析と業界分析とか何言ってるの?(笑)
というタイミングでした

加えて、世はリーマンショック。
もはやネタの如くお祈りラッシュ。
最初の面接ですら全くたどり着けませんでした

それもそのはず、ちょっと客観的に考えればわかるのですが、
教育学部なのに就活しているという時点でマイナス
理科教育専攻だったので、文系の教育学部なのに専門性は理系という、採用側にとってもどっちつかずな専門性でマイナス
というダブルパンチで

もはやお話にならないレベル
就活に向けて何か資格をとっておくなどの戦略も取っておらず、全く歯が立ちませんでした
やればやるほど自己肯定感が下がる→覇気がなくなる→より歯が立たなくなる、という悪循環。

もう、公務員しかない

薄々お気づきでしょうか。

教師にならない、就活も無理、でも安定した社会人になりたい
と思ったら

「もう公務員しかなかったんです。」

そんな不純すぎる動機でスタートした公務員への道、
これも結構茨の道で、
この年は、突然政府の方針で「公務員採用枠を全国で一律半分にする(倍率は前年比の倍)」という決定がなされた地獄の年(昨年20倍だった倍率が突然40倍になるイメージw、ネットの掲示板が大炎上)でした。

流石にコロナショックでもあんな鬼畜な事態にはならないと思いますが、
これからの公務員志望者は用心するに越したことはないと思います。

そして公務員の世界へ

公務員試験の詳細や実際の受験結果は長くなるので今回は割愛します。
どうにかこうにか地方公務員になることができました。

公務員になると決めた時、
私は大きく2つのことを心に決めていました

①仕事はそこそこにプライベートを大事にする
②転職と転勤をしないことを前提に快適で落ち着いた環境を早めに構築する


結果、上記2つとも全くかなわないワケですが(笑)
私の地方公務員としての人生がスタートすることになります。

この時は、
まさか数年後にこんなことになるとは夢にも思いませんでした。

<エピローグ完>
つづきはこちら↓

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