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今、インタラクティブな学びの場をつくる大切さ1/2

この前、告知させていただいたセミナーの残席が早くも残り1人になりました。教員の方も、保護者の方もお申込みくださいました。大変ありがたいことです。もしご興味ありましたらぜひに。

これを機に自分の中での学び合いというものを改めて定義したり構築できればいいなと思って書きました。ちょっと長いけれど、これは共感していただけたらすごく嬉しいです。

授業法というより、コミュニティに対しての考え方だと思っています。僕ら教員は学習者にどう教えるかだけでなく、どんな場であれば知的に生き生きできるかというところをデザインする必要があると思っています。

教え合いと学び合い

3/31に公開されたiTeachersTVです。小学5年生の社会と図工の授業を例にとってプレゼンテーションをしました。(1:30から。だいたい6分程度です。)

ざっくり説明をすると

①社会の水産業の授業で「自分で水産物を選んでその土地で名産になっている理由を調べるor仮説を出そう」という授業をしました。

②Aさんはイカを、Bさんはマグロを選びました。

③Aさんはイカが青森や石川近辺でとれることを「イカが餌を探しに北上すること」「産卵のために南下すること」を発見しました。

④Bさんはマグロを調べていましたが、回遊魚であるはずのマグロがなぜ青森の方で名産になるのかわかりません(回遊魚なのになぜ名産地が決まっているの?)。

⑤困ったBさんはAさんの資料を見てひらめきました。「イカ(上質な餌)があるところのマグロは美味しいんだ!」だから大間のマグロは名産なんだと。

⑥このひらめきにより、「漁場」「マグロを捕獲するタイミング」ということの持つ意味が擬似的に体感できました。

教科書にも漁場とか、名産、という言葉は載っています。その言葉を知るだけであれば教科書だけでもいいでしょう。しかし、言葉の持つ意味やその文脈を理解するということはただ覚えるだけでは理解したとは言えません。

この子たちはこういった活動を通して「知識と知識はつながるものという経験」「二人とも答えを持っていないけれど情報をつなげることでその間にある何かに気づく知性」を得ました。こういった瞬間は教え込む授業展開や環境だとなかなか起こりにくいものです。

また、毎回こういうことが起きるわけではないので、普段からこういうことが起こりやすい場をデザインする必要があります。

学び合いには「知っている人が知らない人へ」教えてあげることで、能力を伸ばすために行うこともありますが、今回大事にしたいことはお互いに答えを持っていなくとも、自分たちで答えを作り上げたことです。

この経験って、一生必要ではありませんか?働いている時も、子育てにも、友人関係にも決まった答えはありません。お互いで答えを探っていく場面は人生の中に度々登場します。その時にこういった経験で知性を獲得してきたことがが生きてくれればいいと思うのです。

方法というより考え方

これは教員に向けたHow to、授業法ということではなくて、自分のいる場がこうなればいいよね、自分に対してのこういう場が見つかればいいよね。といったことが主なメッセージです。子どもにもそうだけれど、僕は教員をはじめとした大人がこういうことを「善」としてほしい。

「教えてもらう」じゃなくて「お互いの知識知恵を交換し合う場」「自分と相手の共同作業でひらめくための場」。教えること、伝えることも大切だけれど、その知識や情報から何を生み出せるかということに大きな価値があるはずです。

システム思考のチーム学習の考え方に近いのかもしれません。

見方を変えれば文科省のいう「対話的な学び」と「深い学び」にも近い感じはします。


全員が同じ発見をするわけではありません。しかし、こういった形の場は自分の適性や好きなものにも気づく機会をもたらしてくれます。

それこそ、知的に楽しい学びだし、知識が深くなっていく学びなんだと思います。職場でも、家庭でも、仲間同士でも。ずっと学ぶのは疲れる時もあるけれど、こういう瞬間が少しでもある環境が日々を彩っていくんじゃないかなと思います。

あと、「学びと成長にお互いが必要」という環境って純粋にいいものですよね。

そんな世界観をもとに学び合う場を作れたらなと思います。



追記

ちょっとネガティブな余談も書きました。よかったらこちらも





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