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【読書】裸で泳ぐ

この本の著者・伊藤詩織さんは同意のない性行為を強要されたとして、裁判を起こした人物である。
MeToo運動の先駆けと言えば、分かる方もいるだろうか。

フェミニズムは度々物議を醸す話題だけれど、Twitterで目にするフェミニズムはどこか歪んでいる気がして、深く学んだり考えたりしようとしたことはなかった。
近年のフェミニストの代表とも言える(過言だったらごめん)方の著書を読んで、食わず嫌いをやめられたらいいなと思った。



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性犯罪に限らず、女性が男性を不安視することは、多分、世の中の男性が思っているよりも多い。
痴漢やストーカーのような悪意があるものを除いても、私は異性の友人や恋人にほんのりとした恐れを抱いたことがある。

理由は、私の全力の抵抗を全力だと気が付いてもらえなかったことだ。

本気で嫌で発した「嫌だ」を流され、本気で逃げようと力を込めたら笑われた。
彼は私に悪意があったわけではなく、ただ単純に、私が全力を出していることに気がつかなかっただけだった。
本気を出していることを分かってもらえないくらい、男女の力には差があることを私はそのときに初めて知った。

女性は純粋な力において男性には敵わない。
私の体感では、私の全力=男性の3割くらい差がある。
男性がちょっと力を込めただけでも、私は掴まれた腕をほどけないし振り払えない。押さえ込まれた頭を上げられない。
世の一般男性が、私に何かを強制させようと思ったら余裕でできて、その間の私の全力の抵抗は気付かれることすらなく散っていく。

世のフェミニスト達は、そんな絶対的強者に対してなぜ平等を求めるのだろうか。
具体的に、どんな平等を求めているのだろうか。

私はよく力仕事を周囲の異性に手伝ってもらうけれど、異性の同期と同じ給与をもらい、異性の同期と同じように来年少しだけ昇給する。
私は異性とは違い生理休暇が取れる。
会社は近いうちに生理用品を備品扱いにするらしい。

平等って、何なのだろう。
そもそも物理的に体の作りも機能も違うのに、どうやって平等を作るのだろう。

フェミニズムが目指す社会は、どんな社会なのだろうか。


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男女が同じルールの下で競えば女性は負け続けるけれど、下駄を履かせてもらっていることを忘れ平等を謳うようにもなりたくない。
等しい力がないのに等しい権利が与えられることを平等と呼ぶのか、等しい力がある人に等しく権利が与えられることを平等と呼ぶのか。

やっぱりよく分からない。
物理的に違いすぎるんだよ男女。



おわり。

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