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心を置いてきた

こんにちは。こんばんは。おはよう。屋久島にわたしの心を置き忘れてきてしまったみたいです。わたしは、今までの職場、人間関係にひずみが生じてきて、初めて、ああ、わたし無理していたんだ、ということに氣がつきます。だから、その人のことが嫌いだから、とか、そういうわけじゃなくて、根本的に、わたしが、必死に好かれようと頑張ったり、ネガティブ思考にとらわれてしまったり、それで、自分で自分を追いつめて、スパッとなにかをやめることが多い傾向にあることに氣づきました。ああ、今福岡にいるのですが、なんとまあ、これから先どうしていこうか、そんな思考がぐるぐる、実家に戻ろうか、でも実家に戻ったら前みたいにどんより暗い氣持ちになってしまうのではないか。それともこちらでシェアハウスを見つけて仕事を見つけて自立しようか。でもまたシェアハウスで苦しくなってしまうかもしれないし、仕事も途中で諦めて逃げてしまうのではないか。そんなことばっかり考えて永遠のループに入ってしまっています。きっと、どこに行っても、向き合う自分の闇は見なくてはいけないし、それとどう付き合っていくのか、ただそれだけなのかもしれません。

屋久島にいる間は、本当にもう、屋久島の土地も、周りの人も嫌いだったんだと思います。それだけ、心に余裕が無かったし、ずっと不安に飲み込まれていた。自分を保つ方法が分からなかった。自分を大事にする方法が分からなかった。その分沢山内省して、色んなことに氣づいた。それは素晴らしくもあり、苦しい経験だった。光が強い分、闇も強かった。ずっともがいていた。希望は忘れなかった。いくら自分が堕ちるところまで堕ちても、周りに見放されるくらいカスな存在、惨めな存在に感じても、わたしはわたしの光を忘れなかった。たとえそれがとても弱々しく、消えてしまいそうな灯りだったとしても。真っ暗闇のなかに見えたその小さな火は、わたしをあたためてくれた。懐かしい、すべてが安心感で包まれていた、そのときみたいに。

自分で決めることができなかった。アイデアは無限に出てくる。でもそれを動かすだけの力が自分に備わっているとは信じることができなかった。だからいつも誰かに決めてもらいたかった。誰かに言ってもらっていた。でもそれって、自分の声だった。全部自分でその人に言わせてきたし、その人の意志で言ったことではないのかもしれない。わたしは数年前から、人間にはそんな見えない力が備わっているということに薄々氣づきはじめていた。

だったら、自分の心の内の声を、言葉に出してしまえばいい。それが間違いでも正しくても、自分の内から湧き出てきた言葉だとしたら、そうでしかないのだ。誰かにチャンネルを合わせて出てきた言葉だとしても、それは自分の言葉でもあるし、間違いなく自分の言葉であることに氣がついた。

さて、わたしはこれからどうしたい?わたしは家族に逢いたい。家族とあたたかい時間を過ごしたい。先のことを考えず、ただそんな時間を過ごしたい。ただそれだけなのかもしれない。そうだよね、うん、そうだよね。何も怖いことなんてない。傷つけることも、傷つけられることも。去年の6月から旅を続けてきた自分。こんなに長い期間、家族に会わなかったのは人生で初めてだ。その記録が、9ヶ月経った今、ピリオドをうたれようとしている。わたしのなかのプライドみたいなものが、いや、まだまだ旅を続けてやる!記録を更新するんだ!と言っている。それも素敵なことだ。だって自分の目標というか、意志を貫くことってすごい。でも、わたしそんな目標決めたっけ?家族から出来るだけ長い間離れるっていう。確かに、きっかけは去年の今頃だった。全てが爆発して表面に出てきて、自分や、色んなものを消え去ってしまいたくなった。旅に出た。何か変わったのだろうか?何も変わっていないことを知るのが怖い。怖くて家族に逢いたくないんだ。

調子こいて色んなことを豪語してきて、それを今まで本当に実現させてきたことがなかった。豪語なんてしないで、着々と行動していたことの方が叶ってきたから。わたしは見栄を張って、母との電話で色んなことを豪語してしまったかもしれない。それが恥ずかしい。良いことだけ見せようとしてきたのかもしれない。自分があたかも全部順調に進んでいるかのように見せることに必死だったのかもしれない。もしかしたらその豪語してきたことって、自分にとっては本当に必要なことじゃなかったのかもしれない。それとも、自分がそれを叶えるだけの行動をしてこなかったのかもしれない。

じゃあ自分が本当に好きで、言葉に無理してしなくても、着々と進められることって何だっけ?毎朝のアーサナの練習?絵を描くこと?踊ること?お香で場の浄化をすること?いつもなんかしらの発信をすること?いつも学び続けていること?身体を氣にかけていること?健康について考えること?お日様の光を浴びること?海を眺めること?木に触れること?風に吹かれること?咲いているお花を見つめること?大好きな人に微笑むこと?笑うこと?泣くこと?怒ること?悲しむこと?歩くこと?朝日を浴びること?ありがとうって思うこと?嬉しいこと?楽しいこと?以外と沢山あった。できることって沢山あった。

前傷ついたこと。沢山あったよね。色んなこと傷ついてきたよね。そのことまだ残っているんだね。それが怖くてまた前に進むのが怖いよね。怖いよね。嫌われる。仲間はずれにされる。そっちの思考にとらわれるのもありだけど、きっと自分の光なんて見いだせないよ。そんなの誰かも分からん人が勝手にわたしに見せている幻想だとしたら?マトリックスだとしたら?そんなわたしを傷付ける人なんて、はなから存在しなかったとしたら?そんな風に思わされてきただけだとしたら?

あなたは素晴らしいよ。それだけ思い出せるように。そんな風を送ります。

読んでくれてありがとう○

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