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終活を行っていなかった事の後悔

今回は、今の事業の切っ掛けについて書きます。

母が亡くなるまでは、人の死というものを殆ど考えた事がありませんでした。
2008年の秋、突然母の具合が悪くなり、近くの病院(日大練馬光が丘病院、※現、練馬光が丘病院)に入院しました。

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心筋梗塞で即、ICU集中治療室)に入り、ICUは面会時間も決まっています。最初の数週間は、病院へお見舞いに行けば会話も出来ましたが、その後は、人工呼吸器が付いて、全く会話が出来ない状況が続きました。

年明けの3月の早朝、母も力尽きて旅立つ事に。私は、亡くなる前日の昼間に父から電話をもらい、仕事を切上げ病院へ。朝まで、ほぼ母のそばにいて最期を見送ったわけですが、とにかく、もう一度会話をしたい...という気持ちでいっぱいでした。

その後、父と、葬儀の準備各種手続き、母を眠らせる墓地の手配と行っていくのですが、私も父も初めての体験。
母が死後について、自分の葬儀墓地をどのように考えていたのか? どのような保険等に入っていたのか? そのような会話をした事が無かったので、全くわかっていません。

先ずは葬儀、たまたま互助会に入っているのだけは分かっていたので、互助会で葬儀の手配。葬儀にも色々とプランがあり、最初は互助会の言いなりになっていたのですが、良く考えてみると余分な物ばかり、結局、最初の見積りの半分になりましたが。

実は、葬儀準備の打合せで、最初に宗教を聞かれた時が一番困りました。 
父方の家系の宗教がわからず、近くにいた母方の叔父叔母に母方の宗教を聞いて、そちらの宗教に沿った葬儀を行う事に決めました。

次に各種手続き、役所関係は問題が無かったのですが、保険関係については、どのような保険に加入していおるか? 会話をした事が無かったので、母が締まっていた書類を見ながら手続きをしていきました。

そして、墓地の手配。こちらが最大の難問でした。
父からは、毎月お墓参りに行けて、交通の便利な所を探して欲しいという要望もあり色々と探しました。都営の霊園も常に落選状態です。

偶然に、父と私が異なる所で得た墓地の情報が同じだった為、そこで決定しました。母の母校の近くにある、東京都文京区にある興安寺自動搬送式納骨堂のお墓です。とにかく、母の3回忌までに、ようやく墓地を手配する事が出来ました。(納骨の時には色々とエピソードがありましたが、こちらは後日別途書かせていただきます。)

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その頃から、この様な問題点はITの技術で何とかならないものか? と考えはじめたわけです。
当時、特に、墓地などは希望(宗教立地条件法要会食施設の有無、檀家有無)に合った墓地が直ぐに見つかる機能が必要だと感じ、大学院修了時に、「ITを利用した葬儀ビジネスサービスの提供」というテーマで事業計画書を作成しました。
(今では、何社かの企業が墓地の検索サイトを運営しており、私が転身した時は既に遅しでした。)

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でも、終活をはじめ供養にわたるエンディング関係の業界、未だ未だIT分野では遅れている気がします。時代もAI化
何とかこれまで蓄えたITの技術を活かして、周りが未だ切り開かれていない事を進めて行きたいと思っています。

そして、終活を疎かにすると、私の様な後悔をする事を伝えて行きたいと思っている事が切っ掛けになります。

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