子どもの頃、誰かに気遣っていた記憶
いつからだろう。
子ども連れの家族を見て、微笑ましさを感じるようになったのは。家庭を築くことは、誰しも憧れるものなのだろうか。そこには「当たり前の幸せ」のお手本のようなものを感じ、心が温かくなる。そんなことを思いながら無邪気な子どもの表情を見ていると、「自分の子どもの頃ってどんなだったっけ?」と昔の記憶を掘り返してみたくなった。
当時の大人にとって、自分も微笑ましい対象だったのだろうか。子どものころに抱いていた感情を振り返ってみると、そのころの感情って、大人になっても変わらないんだなぁと感じる。
兄と自分
子どもの頃は、兄と良くケンカをしていた。歳が近いのもあり、小学生までは、3日に1回はケンカしてた気がする。勝った記憶は一度もないけど、勝ちそうになった記憶は何回か残っている。勝ちそうになったことはあっても、勝ったことはない。勝ちそうになると、勝とうと思う感情が小さくなるのだ。どれほどムカついていたとしても、兄を打ち負かそう、兄の上に立とうとすることはできなかった。この感情が、一体いつから、何がきっかけでできたのかはわからない。だけど、このときの感情は、今でも少しわかる。
小学校の友達は、たまたま次男ばかりだった。だいたいみんな兄がいて、兄の愚痴は共感の題材だった。僕の兄はお調子者で、みんな「お前の兄ちゃん面白いよな」と言っていた。僕は兄とは真逆の性格だと親には良く言われてる。「お兄ちゃんよりしっかりしてるねぇ」と回りに言われるのは慣れていた。そう言われると、嬉しい気持ちと、自由な兄に少しだけ羨ましさを感じていたのを覚えている。
僕の誕生日のとある日。誕生日プレゼントに、兄が欲しがっていたゲームを選んだ。僕は全然欲しくなかったけど、兄に「これが欲しいって言え」と言われ、「これが欲しい」と言った。だけど、好みの違いがわかったのか、「お兄ちゃんに頼まれたんでしょ」と親はすぐ気づいて、兄は怒られた。親に自分がほしいものを選びなさいと言われたけど、それほど欲しいものが浮かばなかった。僕は、兄が怖くて兄がほしいものを言ったのではなかった。兄に喜んで欲しくて、それを選んだのだ。自分がその時一番ほしかったものは、兄が楽しむことを自分が手助けしているという実感だったのかもしれない。
欲求を面に出す
僕は、いつからか親にも感情をあらわにすることはなくなっていた。兄が自由で、親に迷惑をかけていたのもあったかもしれない。「親に迷惑がかからないように」無意識のうちにそう思うようになっていた。そして、気を遣っていることも悟られないように、自然体でいることを心がけた。欲を出さずに、自然体で。
その影響だろうか。僕は自分の欲求も閉ざすようになっていた。欲求を閉ざすと言うより、欲が面に出ないようになった。「自分が欲を出すと、その分我慢する人がいる」と思っていたのかもしれない。欲まみれの人をみると、心が受けつけない時がある。それは、この頃から生まれ始めた感情なのだろう。
スポーツを通じて
僕は兄の影響で、小学校1年生からサッカーをしていた。サッカーには本当に情熱を注いだし、負けたくないというライバル心もむき出しだった。だけど、勝っている試合で、相手チームに同情心が湧くことが何回かあった。
「何で相手チームに同情していたんだろう?」その時の記憶は曖昧で、当時の感情もあまり思い出せない。だけど、相手チームの悲しむ顔を見て、同情していた感情はなんとなく覚えている。
子どもの頃を振り返って
子どもの頃の感情を振り返ってみると、僕は自分の欲求のままに生きることをしてこなかったんだなぁと感じる。誰かの幸せを気にしながら、自分の選択をしている。それ自体が自分を苦しめたことはなかったけど、自分の感情と相手の感情に矛盾が生じると、自分は折れやすいタイプな気がした。自分の誕生日プレゼントに兄の欲しいものを言ったり、サッカーの試合で相手チームに同情したり。僕は、勝負事には向いていないのかもしれない。勝つか負けるか、生きるか死ぬかの世界では、自分の性格はどうも合わない。だけど、だからこそ行き着いた答えがある。
自分の幸せは、人と共にある。
自分のこれまでの感情、欲求が教えてくれた答え。人を蹴落として上がっていくのが当たり前にあるのが資本主義だととしたら、僕はそこでは幸せを感じながら闘えない。その感情は、社会への疑問と関心へと変わっていった。
自分の思い描く社会。今より穏やかな社会。
もしかしたら、今よりもっと良い社会は作れるのではないかと思考しながら、その実現を目指して、一歩ずつ進んで行きたい。
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