毎日が幸せだったら「毎日が幸せ」だと言えるだろうか?
「毎日が幸せだったら、毎日が幸せだと言えるだろうか?」という本を知っていますか?
もう、題名が哲学。むずい。
さとうみつろうという方が書いたこの本。僕はこの、何だかわかるようでよくわからん題名に惹かれて2年ほど前に購入しました。
私は、この題名のような相対的な物事の見方が、幸せにはむちゃくちゃ重要なんじゃないか?と思ったので、アウトプットしていこうと思います。
毎日が幸せだったら、毎日が幸せだと言えるだろうか?
この意味を簡単に言うと、「幸せを感じることができるのは、幸せじゃない日があるから。幸せじゃない日と比較して、相対的に見て "今日は幸せ" だと感じている。もしそうだとするならば、あなたの思い描く幸せが毎日続くとして、あなたはずっと幸せを感じ続けることができるのだろうか?」という感じです。
うん、全然簡単に言えてない。
例えるなら、右ってどっちですか?
⇨こっちです。
右という概念があるのは、左という概念が存在するから。
右だけ単体で存在することなんてできない。左があって右だから。
ミスチルの「GIFT」という曲の2番にこんな歌詞があります。
降り注ぐ日差しがあって
だからこそ日陰もあって
その全てが意味をもって
互いを称えているのなら
もうどんな場所にいても
光を感じれるよ
この歌詞は、相対的なモノの見方をしていることに、大人になって気づきました。
あなたが今、日陰にいるとして、あなたは光を感じることができない。本当か? いや、日陰は、光があるから存在することができるんだ。そのことに気がつけば、どんな場所にいたって、光を感じれるじゃないか!ということを言っている。(たぶん)
これは、幸せにも言えることなんだそう。
あなたが思い描く理想をもし叶えることができたとしても、その中からあなたは不幸を見つけ出してしまう。なぜなら、幸せは不幸があってこそ存在することができるから。
そしてみつろう氏が言いたいのは、「もし不幸があってこそ幸せを感じることができるなら、不幸だって人生を楽しむ大事な要素じゃん。もっと不幸に感謝をしないと!」ということです。
この考え方は「確かにな」って思いましたし、こう考えればいつだって楽しく生きられるかもって思いました。
不幸を感じたときこそ、人生に感謝。
「ありがとう。幸せを味わうスパイスを用意してくれて。」
センキュー不幸。
オブリガード、不幸。
本は学びの宝庫やなぁ。
さとうみつろう/毎日が幸せだったら、毎日が幸せだと言えるだろうか
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