見出し画像

コピーライターへの憧れ

僕は現在、初期研修医が終わって1年間モラトリアムの延長を選び、専攻する診療科を決めずフラフラしています。
初期研修を2年間終えた4月から宣伝会議が主催するコピーライター養成講座に通っています。

漠然としたコピーライターという職業への憧れ

僕が広告に興味を持ったのには大きく2つの理由がありました。1つは初めて見た屋外広告への衝撃ともう1つが後輩から受けた影響です。

初めて見た屋外広告「ちょうどこの高さ。」


銀座のソニービルで見た屋外広告「ちょうどこの高さ。」

大学1年生が終わって春休みの3月10日に行った銀座で信号待ちをしていた時にパッと目に映ったこの屋外広告に僕は言葉では言い表せない感動を覚えました。「へー、3.11の時の津波ってこんなに高いところまであったんだ。高いなあ。」という感想と、それがパッと一目でわかることの凄さを感じました。それと同時になんでコレがYahooの広告なんだろうと不思議に思ったのを覚えています。この広告を見た時パッと写真を撮ってしまい、銀座をぶらぶらしている時も家に帰ってからも「何でYahooの広告なのか?なんか凄かったなあ、あの広告」と考えていました。
それから1ヶ月が経った4月に僕は所属していた部活の新歓を迎えました。

広告代理店を辞めて医学部再受験した後輩が入部

大学2年生になって行う人生初めての新歓をする側という立場でした。ある日、新歓に再受験生が来てくれました。再受験生ということだったので「何の仕事をしていたの?」という質問はみんな投げかけるのは自然の流れでした。
広告代理店で働いてました。
僕は、恥ずかしながら広告代理店という業種をその当時全く知りませんでした。知らない仕事だったことに興味が湧いた僕はどんなことをしている仕事なのか根掘り葉掘り質問をしました。年下だけど学年では先輩ということで今思うと面倒くさかっただろうとは思いますが、詳しく教えてくれました。何でも僕たちが目にしてるものは大体広告代理店が絡んでますよ、とのことだった。
「え、これも?」と僕はちょうどこの高さ。の写真を後輩に見せたら「もちろんです。コピーライターの仕事ですね。」と。
へー、この広告を作っているのが広告代理店、コピーライター。
その日からぼんやりと広告代理店、コピーライターって凄いなあという感情を持ちながら大学生活を過ごしていました。

広告代理店を記念受験

医学部を卒業すると体感99%以上の人が初期研修医に進みます。当たり前です。医者になるために医学部に行って卒業しているから、当たり前の話です。
僕もみんなと同じように大学5年生あたりから初期研修を行うにあたって病院探しを始めていました。給料が良い病院、立地がいい病院、忙しくて力がつきそうな病院などみんな様々な基準で病院を選んで探します。僕は給料が良くて立地がよくてあまり忙しくなさそうな病院を探していました。目ぼしい病院があれば病院見学を申し込んで実際の働き方の様子や働いている先輩からの声を聞きに行きます。病院見学を行なっているうちに「本当にこのままみんなと同じように初期研修に進むのでいいんだろうか?」と思うようになりました。
せっかく医師免許という死ぬまで失効しない免許を持っているのに。という感情が頭から離れなくなったのです。
本当に僕がしたいことって何なんだろう。と考えるようになりました。そこで浮かんだのが「コピーライターになってみたい」という感情でした。そこからネットで「コピーライターのなり方」「広告代理店 新卒」「広告代理店 就職 難易度」などを検索していました。
医者はいつでもできる!コピーライターを目指してみよう!
この発想だけで僕は大学5年生の2月ごろ広告代理店への新卒採用への応募を心に決めたのでした。
今思えば、就活というものを完全に舐めているのですが僕がエントリーシートを提出したのは博報堂の1社だけでした。理由は「ちょうどこの高さ。」を作ったのが博報堂グループだったから、だけです。完全に舐めていますよね。

エントリーシートは通過

エントリーシートを自分なりに書き上げ、誰にも添削してもらうことなく提出しました。普通エントリーシートというのは先輩や友人に見てもらってアドバイスをもらったりするものらしいのですが、僕は何となく恥ずかしくて誰にも見せることができませんでした。というかそれ以前に僕は友人にも親にも誰一人として広告代理店を受けることを言っていませんでした。
落ちたら恥ずかしいから、という気持ちがあったからです。
(普通医者になるだろ、という状況なのに奇を衒って広告代理店を受けて)落ちたら(しかもエントリーシートの段階で落ちたら)恥ずかしいから。
そして緊張の中迎えたエントリーシート通過の発表日に届いた結果は通過。
ガッツポーズでした。

1次面接

エントリーシートを通過して迎えるは1次面接でした。コロナ禍というのもあり面接はZoomで行われるとのことでした。面接を前に、僕はあるひとりにだけこの就活のことと面接が控えていることを話しました。もちろん再受験をした後輩です。なんとかエントリーシートを通過したことを伝えると、凄いですよ!と褒めてくれました。〇〇さんなら1次面接をパスできたら結構チャンスあります。と励ましてくれました。
面接について相談したかった理由に、OB訪問ができていなかったというのがありました。後輩は、「別にOB訪問がマストではない。他のところで面接で話せたら大丈夫です。」と言ってくれました。「そんなことより、何で医者じゃなくて博報堂なのかってところが〇〇さんの場合、絶対聞かれるんでそこだけ納得できるような答えを見つけててください。」とアドバイスをくれました。
んー。ただのコピーライターへの憧れなんだよなあ。という考えしか浮かびませんでしたが、確かに納得させることができる理由を考えなきゃなあと思い数日考えました。
そして迎えた1次面接。
志望動機や学生時代の部活の話などオーソドックスな質問のあと、案の定聞かれました。「何で医者じゃなくてコピーライターなの?」と。
「医者は基本的に1対1で顧客(患者)の問題を解決していると思うんですけど、コピーライターだと1対∞に問題を解決できると思ったからです。」と答えたらコレが運良く激ハマりしてくれました。
広告代理店のやっていることと医者と患者の関係ってすごく似ていて、患者からの問題のニーズに合わせて一緒に解決していくってことを広告代理店はやっているんだよね。と面接官の方が教えてくれました。
確かにそうだよなあ、と。
感触はあったので1次面接通過の発表はワクワクでした。なんと、1次面接も通過させてもらえたんです!

2次面接グループディスカッション

1次面接を通過した僕は完全に浮かれていました。これは受かるぞ、と無駄な自信がみなぎっていました。
グループディスカションは、みんなで話し合いながら一つのアイディアを発表するというような内容でした。課題が僕的にすごく難しくていいアイディアが全く浮かばず、しかもアイディアをずっと考えていたせいで話し合い中も所々でしか発言ができませんでした。他の班の人の発表に圧倒されながらグループディスカッショは進んでいき、最後まで僕はこれといったインパクトを残すことなく終わってしまいました。コレは落ちたな。と直感で感じました。
結果は、お祈りでした。
あー、やっぱりそう簡単には上手くいかないよなあ。はあ、初期研修先の病院を探すかあ。と落ち込みました。
僕に、広告代理店で働くという運命はなかったんだと思い諦めることになりました。

何となく消えないコピーライターへの憧れ

紆余曲折はありましたが僕もみんなと同じように初期研修に進みました。割と忙しめの病院でも働き、結構楽しみながら研修医としての生活をしていました。研修医が2年終わると体感90%以上の人が自分の興味のある診療科を選び専攻医の道に進みます。循環器内科専攻医、消化器外科専攻医など、〇〇科の医者です。と名乗るようになるのです。僕は脳神経外科に興味を持っていました。なので普通は初期研修が終わると脳神経外科専攻医に進むことになると思います。ですが、ここでも僕に天邪鬼な面が顔を出してきました。
脳神経外科っていつでもなれるし、本当にこのままストレートで働き続けていいんだろうか?もっとやりたいことなかったっけ?
今思えば本当に天邪鬼すぎますが、本気でこう思っていました。専攻医として受け入れてくれる病院の先生から熱心なお誘いも頂いていたのですが僕は断って、1年間フリーターをするという選択を選びました。

・①英語に何となく興味がある。
・②海外に何となく興味がある。
・③インドに何となく興味がある。
・④バックパッカーに何となく興味がある。
・⑤コピーライターにやっぱり興味がある。
・⑥医者としてしっかり働きたい。

というのがその時僕の頭にあったことでした。
そこで僕が考えた1年のスケジュールが、

4−9月からコピーライター養成講座をオンラインで受講する。(⑤)
4−12月にカナダにエアーキングホリデーに行く。(①、②)
1月からインドにバックパッカーに行く。(③、④)
次年度4月から脳神経外科専攻医に1年遅れで参戦する。(⑥)

でした。
そして4月の上旬は医者バイトをして資金を貯め、貯金50万円を握りしめてカナダに向かい、いまワーホリに来ています。ニート中ですが。


コピーライター養成講座を受け始めて3週間

コピーライター養成講座を受け始めて3週間。
カナダ時間で深夜になりますが受講を続けています。
いいコピーの見分け方。コピーライターとは。のような授業を受けていますが本当に楽しいです。課題も与えてくれて毎日毎日、コピーライター気分でコピーを考えています。楽しい。

コレからの野望

コピーライターへの憧れは消えませんが今は何となくコピーライターになるよりは医者になろうという気持ちでいます。コピーライター養成講座を半年受講し終わるとまた考えが変わっているかもしれません。でも、何となく医者になると思います。多分、いや絶対に1年間のブランクで痛い目に遭うことは確実ですが頑張ろうと思います。
残されたフラフラ期間、モラトリアム期間の11ヶ月間。どうしようか悩み中です。カナダから引き揚げて日本に戻って医者バイトをしながらコピーライター養成講座をリアル講義(現地受講/オンラインどっちも可)でも受けて行きたい国に旅行にいく。
みたいな計画を今考え中です。何となく。
この「なんとなく」で物事を決めるのも来年以降はやめなきゃなあと思ってます。何となく。



よろしければサポートおねがいします。 勉強のためや、記事のためのネタ探しの費用に充てたいと思います。