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ビジネスの変遷、軍隊モデルからアスリートモデルへ

今日の内容は、当社の年度方針の際に話した内容を少しアレンジしたものです。(読了まで約15分ほどかかります)

多くの着想を、山口周さんの『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(以下、『ビジネスの未来』)に依拠しており、適宜引用しつつ、話をしていきます。引用部分も多いですが、書評のようなものとしてご覧いただければと思います。

さて、この本でも取り上げられていましたが、現代は低成長の時代というより、そもそも人類史を見る限り20世紀の年間5%も10%も成長すること自体が異常、現在の低成長が人類としては正常という主張です。

実際、私(40歳)の祖父母世代、親世代を、日本の経済成長率と比較してみたいと思います。

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これは、GDPの成長率を前後5年の平均にしたものです。(2021年なら2018-23年の平均)5年の平均にした理由はオイルショックとか乱高下する年の影響を除いて見やすくするためです。

これを見ると一発で分かるとおり、祖父母世代の頃は、日本のGDPの成長率は10%を超えることもありました。両親世代になると少し落ち着くものの、それでも5%、そして、私たちは2%を切って、5年間の平均をとったとしてもマイナス成長になる時期も現われます。

量の時代

さて、祖父母世代の時代、10%の成長とはどういうことか。シンプルに言えば、今年は日本全体で車が100台売れたら、来年は110台売れるようになるということです。家が10軒建つなら、来年は11軒。ものが飛ぶように売れた時代です。

この時代の社会的な使命は、「いかに、よいものを安く、不足なく提供するか」が問われた時代でした。『ビジネスの未来』にも引用されていますが、有名なのが松下幸之助の水道哲学です

「生産者の使命は貴重なる生活物資を、水道の水のごとく無尽蔵たらしめることである。いかに貴重なるものでも量を多くして、無代に等しい価格をもって提供することにある。」 松下幸之助

『量を多くして無代に近くする』、すなわち『たくさん作って安くする』が、生産者すなわち、企業の社会的な使命であり要請でした。メーカーだけでなく、流通も同じです。渥美俊一さんという日本のチェーンストア経営コンサルタントの泰斗がいますが、その方は『経済の民主化』という言葉で、すなわち、『チェーンストアのように大量に流通させる仕組みを作り、どんな地域に住んでいる人でも実用品を安く手に入るようにすること』が社会的使命としていました。

まさに『量の時代』です。

そして、この時代の経営者の自伝や、経営コンサルタント、経営学者の著作を読むと、多くの方が、ビジネスを戦争に例えているように、私は感じます。ランチェスター戦略などという言葉がその具体例ですね。

この時代の考え方、すなわち、経営の本質は、『大量の商品を大量の人員で生産・販売する』ことにあるとしたら、まさに『大量の人員をどう効果的に動かすか』の参考になる事例としては、『軍隊』がフィットします。

つまり、経営の理論やリーダーシップの手本が『軍隊』に求められ、経営理論やリーダーシップのあり方などのメタファーに『戦争』がよく用いられた時代。

端的に言えば『ビジネスは戦場』だった時代ともいえます。

そして、戦争だから、『犠牲』も伴う。勝利のため、あるいは味方を生き残らせるためには、特定個別の兵や部隊は見殺しにすることがある。こういう感覚を持ってビジネスに当る経営者が、この世代には多いように思います。

『ビジネスには犠牲がつきもので厳しいものだ』という思想です。『厳しいものだ』が『厳しいものでなくてはならない、厳しいものであってほしい(そうでないと、生き方の前提条件が崩れてしまう)』と思っている人さえいるようにも感じます。

今は80代を超えた、ある大会社の社長の著書の中で(例示は避けます)、家族との私生活を犠牲にしてきたことを振返りながら「誰かを犠牲にしてまでやらない限り、まともな仕事はできない」「個人的犠牲者が出ないようなら、その程度の仕事しかしていない」と述べています。

少なくとも、この方が現役バリバリだった時代は、ビジネスが戦争だったので、それが正しかったのでしょう。でも、私には、これは『ビジネスは犠牲を伴う戦争であってほしい』という深層心理の表れのようにも読めるのです。

この世代は、戦争を経験している時代です。多くの若者が国家のためにと、文字通り命を散らし犠牲になったことを、当事者として体感している世代です。軍事作戦上、部隊として見殺しという判断が出たことも、リアリティのあった世代でしょう。『誰かを犠牲にしなければ成果を掴めない』ということに比喩でないリアリティを持たれている世代でもあります。

一方、『成果のためには犠牲はやむを得ない』という思想は、戦争に限らず、多くの悲劇をもたらしました。宗教にしろ政治にしろ『革命のためには暴力による犠牲はやむを得ない』とした集団がどのような結果をもたらしたかは、論を待ちません。

私たちの世代は、平和な時代に生きています。その平和のほんの少し前には、多くの犠牲者が出る時代があり、犠牲になられた方々も、平和な時代が来ることを望んでいたはずです。そして、平和になった今、私たちは「誰も取り残さない」ことが「持続的な発展」につながるSDGsの世界に生きています。その現代の価値観で過去を裁いてはいけませんし、「私が甘い」と受け取るかも、皆さんの判断に任せたいと思います。

問題が解決した時代のマーケティング

さて、時代が昭和から平成に移り、私たちの親世代になると、日本もそこまでの成長ではなくなります。それは、『ビジネスの未来』の言葉を借りれば『物質的不満が解消された状態』となります。

少なくとも日本においては、エアコンも、テレビも、冷蔵庫も、電子レンジも、掃除機も、洗濯機も、自動車も、電話も、ほぼ普及し尽くしました。

そうなると、「冷蔵庫がないからものが腐る」みたいな、「みんなが困っているような、人間の生活を脅かすレベルの問題」がなくなります。

「人間の生活を脅かすレベルの問題を解決する製品」というのは、まさに「みんなが買う」ため、経済成長を大きく引っ張ります。こういう製品の普及に支えられた年間10%もの成長は、そういう製品が一つ、また一つ、と普及しきってしまうに伴い、そこまでの成長が維持できなくなってきます。

このあたりの詳細なからくりは『ビジネスの未来』他に詳しいので譲りますが、この状況でやれることは

1.まだ、その問題が解決していない、生活レベルの低い途上国に進出する
2.問題・不満を企業側が設定して創り出す

と、大きく2つが紹介されています。

1はそのまま海外進出を意味します。しかし、海外で進出に見合う人口がある国の生活レベルが上がりきると、進出する国や地域がなくなり、この戦略は手詰まりになります。(そして、人口の少ない国が取り残されます、これはこれで別の問題です。)

2の「問題・不満を企業側が設定して創り出す」こと、これこそが『マーケティング』だと書かれています。

"すでに満ち足りている人に対して「まだこれが足りてないのでは?」とけしかけて枯渇・欠乏の感覚をもたせることができれば、新たに問題を生み出すことで「 ゲーム終了」を先延ばしすることができます。これがマーケティングの本質です。"
山口周『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』

逆に言えば、技術や製品が有無を言わさず問題を解決できるような商品にはマーケティングは不要なんですよね。

例えばですが、もし、ドラえもんの『どこでもドア』が商品化されたら、マーケティングは不要です。だって、マーケティングしなくても、明らかに売れるに決まっているもの。冷蔵庫がない時代の冷蔵庫、自動車がない時代の自動車、テレビがない時代のテレビとは、そのくらい便利で画期的なものでした。

つまり、マーケティングは『技術や商品スペック自体の差がないものを、どうやって価値あるものとして売り込むか』の技術です。

そう言うと、マーケティングを馬鹿にしているように聞こえるかもしれません。しかし、ユニバーサルスタジオジャパンの再生などで知られる、日本有数のマーケッターの森岡毅さんも、その著書でこう述べています。

マーケティング力が必要に迫られることで本当に発達するのは、むしろ技術による商品差別化が困難ないわゆる「ローテク」業界です。わかりやすい例として「水(ミネラルウオーター)」を売ることを想像してみてください。マーケティングの力なしに evian を他ブランドと差別化できますか? ローテク業界は技術に頼れないから、マーケティングで何とかするしかないのです。 

私がかつていたP&Gも製造業ですが、作っている家庭消費財の多くは言ってみれば「ローテク」です。私が担当していたシャンプーなども、数々の技術特許があるとはいえ、しょせんは誰でも 釜 を 焚いたら作れてしまうのです。大きな資本も要らず「誰でも作れる」製品なので、市場参入しているプレイヤーは星の数ほどいます。

またシャンプーなどは、劇的に製品性能が向上したり、革新的な新製品が生まれたりすることが滅多に起こらないのです。それでもできる限り自ブランドを差別化しようと努力を繰り返し、小さなシェア同士で激しくドングリの背比べをしています。

技術革新が少ない中でどうやって競争しているか? 売り方の工夫を研ぎ澄ましているのです。消費者をより深く理解して、商品のコンセプトを変えてみたり、ちょっとだけパッケージを変えてみたり、なんか効きそうに聞こえる有効成分を少しだけ入れてみたり、TVCMを変えてみたり、話題化させる方法を考えてみたり、店頭展開や価格をいじってみたり、生き残るために毎日が必死です。

そういうわけで消費財業界やサービス業に代表される、「ローテク業界」ではマーケティング技術がものすごく発達するのです。

森岡毅『USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門』

まさに、マーケティングを『技術や商品スペック自体の差がないものを、どうやって価値あるものとして売り込むか』の技術として説明されています。

そのため、特に製造業の人からすると、「価値のないものを、物理的な品質を変えずに、同じ商品のままで価値をつけて高く売る」という性質から、ともすると、詐欺的な印象や、インチキをしているような感覚を、マーケティングに対して覚える方も多いようです。

私自身は、マーケティングやブランディングについては、基本的には肯定的な立場ですし、経営にも取り入れていますが、マーケティングに対して罪悪感や詐欺的な気持ちをもつ心証も分かります。

私の中では、ある事柄の価値を1円と評価するか1万円と評価するかは、評価者の自由の範囲だけど、価値のないものに価値があるというのは、善悪感覚としてNGだと思っています。森岡さんの文章の例だと、「なんか効きそうに聞こえる有効成分を少しだけ入れてみたり」というのは、私の善悪感覚ではNGです。

とはいうものの、『ビジネスの未来』の中でも、1970年代に電通がマーケティング戦略のために作成した「戦略の十訓」を引き合いに出しながら、

ここに掲げたような意図をまったくもっていない 、と自信をもって断言できる人はおそらく一人もいない

と、指摘されているとおり、私も含め、現代のビジネスに携わっていれば大なり小なりの「恣意的な問題の創造」による売上げでメシを食うことからは逃れられません。

『ビジネスとは社会の問題を解決することで利益を生み出す』という表現を見かけます。『社会』でなくても『お客様の困りごと』ぐらいの表現の社是などもよく見かけます。

言葉は必要があるから産まれます。実は世の中に問題がなくなってきてしまった。だからこそ、ビジネスを成立させるために、意識的に『ビジネスとは問題解決である』と強調せざるを得ない文言のニーズが高まった。

そして、少し前から、若い世代では『やりがい』が仕事の優先順位として高くなりました。それは、『創られた問題や、小手先ででっちあげられた価値ではなく、本当に解決すべき問題や価値の創造に取り組みたい』という欲求なのではないでしょうか。

ビジネスのアスリート化

さて、ここまで書いてきたことは、主としては消費財、BtoC市場や、サービス産業に顕著な話でした。

BtoBの世界では、依然として主としてはコストに収斂される技術ドリブンの世界が続きます。こちらで生じたことについては、同じ山口周さんの著書でも、水野学さんとの共著『世界観をつくる 「感性×知性」の仕事術』により詳しいです。


"「 役に立つ」ばかりを追求していると、ビジネスがすごくアスリート的になりますね。
アスリート的ビジネスの特徴は「 パフォーマンスを測る軸がシンプルで計量 可能である」ということです。ICチップなら計算能力とコスト、発電機なら発電効率とコスト、自動車なら燃費と価格ですね。”
水野 学; 山口 周. 『世界観をつくる 「感性×知性」の仕事術』

これは、製造業に身を置くものとして、非常に実感することです。

単位当りで100円と101円の見積りがあったら、実際のその1円のインパクトはともかくとして、『1円安い』というエビデンスがある以上、ひっくり返す理屈がなければ100円の企業に発注するのが、購買担当者だと思います。

BtoBの購買基準は、基本的には数字で測定できます。ここに、『マーケティング』が介在する余地はありません。品質、価格、納期など、定められた基準において他者より優れた数字を叩き出すことが、なによりも、『自社の商品を買ってもらう方法』だからです。

そして、『定められた数字基準、すなわちルールに対して、知恵と努力で極限まで工夫を積み重ね、技術の粋を注ぎ込む』みたいなことは、日本人の得意技として、よくいわれることです。

しかし、その技術競争も、また、持続的なものではありません。

アスリートの例えに乗っかるなら、これは、男子100m走世界記録の変遷です

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最初に記録された100m世界記録は10秒6。それが10秒4に短縮するのに、人類は9年を要しました。さらに0.2秒短縮することに15年。さらにさらに0.2秒短縮することには24年、そこからもっと0.2秒短縮することには31年の年月がかかっています。

ちなみに、2009年のウサイン・ボルト(9秒58)の次の記録は、タイソン・ゲイとヨハン・ブレークの9秒69。ボルトの9秒58が如何に例外的か分かります。(それが、ボルトの凄さです)

おそらく、ボルト以外の選手が9秒6を切るのは1991年から40年ほど過ぎた2030年頃になってしまうと思います。

さて、何が言いたいかというと、技術水準競争は、どんどんその基準において記録を更新することが難しくなります。男子100mも、練習方法からシューズからトラックの性能からフォームから、ありとあらゆる技術、そして、おそらくは多大なコストと労力が0.01秒の短縮のために投入されています。それは、前の時代から見たら比較にならないものだと思います。

しかし、記録更新のスピードはドンドン鈍っていく。多大なコストと労力をかけ、そして、ありとあらゆる無駄を削って徹底的に効率を求め、そして、やっと、その0.01秒を削ることが出来る。今回削った0.01秒より、それによって設定された次の0.01秒を削ることは、さらに難しくなる。

ビジネスも同じではないでしょうか。0.3mmに薄くすることに大きな労力を使い0.2mmにする。そして、0.2mmを薄くすること以上に大きな労力をかけて、今度は0.1mmにしていく、そのために、製造業ではQC活動や、カイゼン活動などを積み重ねていく。

でも、ふと立ち止まると、背景に技術論文が何本も書けてしまう労力を投入して数グラムを軽くした携帯電話に、女子高生がいとも簡単に、重たいアクセサリーをストラップとして付けてしまう。

この状況を『世界観をつくる』の中では、テレビのリモコンの例によって表現されています。

”うちのテレビのリモコン、ボタンが 65 個あるんですよ。いずれ100個ぐらいになると思いますけど(笑)、いらない機能を増やすために仕事をやっている側面があります。家族に聞いてみると「普段使うボタンは4つしかない」というんですね。つまりボタンの数が 10 個くらいになったときから、もうユーザーはメリットを感じなくなっているわけです。メリットを感じない以上、払おうとするお金も増えません。しかしボタンが増えるごとにコストは必ず増えます。こんなことを続けていればやがては利益ゼロの損益分岐点に到達することになります。現代の日本の家電産業の損益計算書を確認してみると営業利益で数%しかあげられていません。顧客が価値だと感じていないことにコストをかけているわけですから当たり前です。ボタンが 65 個あるリモコンは低収益へと至るジレンマの象徴なんですよ。”
水野 学; 山口 周. 『世界観をつくる 「感性×知性」の仕事術』

あちこちの産業で『ボタンが65個あるリモコン』が産まれ、そして『66個目のボタン』を追加しようとしていないでしょうか。

さらに、前段のマーケティングも、デジタル化により、多くのデータが測定可能になりました。アクセス解析して、ABテストをすれば、どっちのイラストの方がクリックしてもらえるか、簡単に数字で分かります。そこに『こっちのイラストの方がかっこいいね』みたいな感性は必要ありません。正解はデータが教えてくれます。そのため、近年ではマーケティングという分野のかなりの部分を、データ収集と解析が占めるようになっていると感じます。

このように、ビジネスがアスリート化してきた、ここ数十年。私も、様々な経営者の自伝や講演などを聴くと、メタファーとしてスポーツが使われることが多いと感じます。

私生活含め生活の全てを競技に集中して注ぎ込み、自分を追い込むアスリートの姿が、ビジネスマンのモデルとして設定されるようになると、技術者は技術にのめり込むことが正しくなり、人が価値を生む非製造業・サービスのビジネスでは、「極限まで人を追い込む」ことに一定の効果が認められるようにもなります。

それは「24時間闘えますか」の長時間労働・仕事人間の美徳を産むと同時に、そして、例え短期的なものであっても、一定の効果があったからこそ、人を追い込む手段として『パワハラ』も、ある種の存在肯定が得られたのではないかとも、私は感じるところです。

そして

さて、ここまで、現代までの時代を振り返ってきました。

世の中に問題が溢れ、ビジネスが戦場だった「廉価大量生産時代」が終わり、「マーケティング」による欺瞞的な問題の創造をするか、それともアスリート的な技術競争を勝ち抜くかで、なんとか生き残ってきた時代も、いよいよ限界を迎えようとしています。

「価値のないところに価値を付けて必要以上に消費を煽る」ことは、地球資源的にも限界であり、なにより、欺瞞のある行動は、それに携わる人も疲弊させます。一方、アスリート型ビジネスの限界にもぶち当たって手詰まり。

このような状況でどうするか。それが、今の時代をになう私たちに課された使命だと思います。

というところで、肝心のその話をするまでで、8000文字近くを使ってしまいました。

これからの話は、次回以降にさせていただきます。

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