若いとき腰の低かったあの人が、なぜ、年をとると尊大になるのか

そのこと自体の是非はさておいて、日本は年功序列が根強く残り、年上を敬う文化、習慣を持っています。語弊を恐れずに言えば、年をとるほど相応に態度を大きくして良いということ。

もちろん、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という言葉もありますが、一方で、地位のある人、立場のある人には、そこは役割として、どこか、それなりの偉そうな態度をとってもらった方が、組織や社会自体が安定するということもあるのではないでしょうか。

つまりは、年齢地位と期待される態度の大きさが正比例するわけですよね。グラフで書くとこうなります。

キャプチャ1態度

若い頃不遜なタイプの人

さて、ここで、若いうちに尊大な態度をとっている人がいるとします。ふてぶてしいというか。皆さんの周りにもいるのではないでしょうか?そして、『こいつは不遜なやつだ』と思われる。

つまりは、こういうイメージで成長すると思われるわけです。

キャプチャ2huson


ところが、そういう人って、意外と年とってから『味のある中年』になったりというのはよくあること。ある程度年齢や地位が進むと、意外と若い人や立場の弱いヒトに声をかけてくれるようになったりする。

これを、『人が変わった』とか『若い頃は尖ってたのに』と、周りの人はいったりしますが、実は『人が変わってはない』のですよね。グラフで書くとこうなります。

キャプチャ3fusonn

グラフで見るとよく分りますが、本人としては一貫したグラフの傾き。それが、年齢地位の上昇とに伴い、若い頃不遜だった世間とのギャップが徐々に無くなり、最終的には、むしろ、世間標準と逆方向にギャップが広がる。

要するに『本人は地位に対して態度の変更が少ない(=グラフで言う傾きが小さい)タイプ』と言うことは一貫しているわけです。

若い頃殊勝なタイプの人

では、逆のパターンはどうでしょうか?つまり、『本人の地位に対しての態度の変更が過剰』なタイプ。考え方として、地位や立場に対しての役割のべき論が強く、周囲からその役割を演ずることへの期待、ということに敏感なタイプとでもいいましょうか。

そういう人は当然、地位年齢の上下と態度の大小に、過剰に反応しがちになります。従って、地位が低いうちは標準より腰が低く、『素直』とか『目上をよく敬う』などの評価をえがちですが、地位が高くなるにつれ『尊大』『目下に当たりが強い』というような人物評価を受けるタイプ。

すなわち、表題で書いた、『若いとき腰の低かったあの人が、なぜ、年をとると尊大になるのか』の人。

もう、イメージできてるかもしれませんが、グラフで書くと、こうなります。

キャプチャ4fuson

グラフで書くと一目瞭然ですね。『本人は地位に対して強く反応する』ということで一貫しているんです。変わったのは本人ではなく、本人が置かれた地位や立場が変わることで、本人の態度と周囲の期待の間のギャップが逆方向に広がってしまっている状況です。


そして、大きく2パターンで見たグラフですが、このグラフの傾きや、最初の切片の位置というのが、先天的な性格やその後の教育で、個人個人によってばらつきがあります。

自己肯定感の有無とか、警戒感の強さとか、体育会組織で青春を過ごしたかとか、どういう家庭文化、社会文化で育ったか、ファクターは色々あるでしょう。

グラフの傾きが緩やかな人、急角度の人、切片の位置が最初から高い人、低い人。世の中色んな人がいて、それぞれに違いがある。

そのことを頭に留めておくだけでも、人に対して過剰な期待をしたり、失望したり、ということも、少しはなくなるのではないでしょうか。

今日の話はここまで。

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