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なぜ『発酵食品』に『正しさ』が求められるのか

前回はこちら。

前回、”なぜ『正しい発酵食品』、あるいは『正しい発酵食品の食べ方』というものが求められるのか?”という疑問を提示しました。

今回はその疑問への私なりの回答です。

発酵食品の医薬品化


私は、その大きな理由が、発酵食品への注目が『健康』をキーにしていること、にあると思っています。

発酵食品が体に対して様々な健康作用をもたらすとされています。その期待が、今の発酵ブームを大きく支えているのは確かですし、また、発酵食品に注目が集まることは、大変ありがたく思っています。

発酵食品に対しては、伝統、歴史、文化、地域おこし、コミュニティ、フードテック、分子生物学、資源循環、マインドフルネス、、様々なアプローチが可能です。

なかでも、『健康』、あるいは『機能性』といったところは老若男女問わず、全員に共通する話題、切り口でもあります。そのため、発酵食品に注目が集まるとき、まず『健康』が共通の入り口になるのは、ドライな言い方をすれば、マーケティング戦略としても、理解できるところです。

一方、あまりに『健康』や『機能性』というところに注目が集まると、『健康になるために発酵食品を食べる』が『発酵食品のこの機能性を獲得するために食べる』になります。

例えば、『発酵食品には物質Aというのが含まれていて、その物質Aに効果があります』という説明があって、そのために発酵食品を食べると、それは、見方を変えれば、発酵食品を食べるのではなく物質Aを食べることが目的になっている状況です。

そうなると、『物質Aの効果を最大化する食べ方』が『正しい食べ方』になってしまいます。

『発酵食品を食べる』が目的であれば、発酵食品を作る喜び、一緒に食べる人と会話する喜び、大豆や麦や米の生産者に思いをはせる心の豊かさ、といったことも含有されてきて、全体として『食べて幸せだね』となれば、私はそれで『発酵食品を食べる目的』は達成されたと思います。

しかし、『物質Aの効果を最大化する』が目的になってしまうと、効果を発揮するための温度とか、食べるタイミングとか、食べ合わせとか、そういう話が出てきます。

そう、まるで、『発酵食品』が『薬』になってしまいます。病院で処方されるお薬は、その効果を最大限に発揮するため、【正しい用法・用量】が定められています。食前、食間、食後とか、あるいは、例えば『グレープフルーツと一緒に服用しないでください』とか、『服用後アルコールはお控えください』とか、お水ではなく、お湯の方で飲んでくださいとか。

本来たくさんあるはずの『発酵食品を食べる目的』が、『物質Aの摂取』のように絞り込まれてしまうこと、私は、これを『発酵食品の医薬品化』と呼びたいと思います。そして、『医薬品』なら【正しい用法】があって当然ですものね。

個人的には、『正しい発酵食品の食べ方』の概念が生まれる背景には、『発酵食品の医薬品化』があると思っています。


clubhouseでも『健康』と『文化』なら『健康』の方が人が集まる


最近話題のclubhouse、私も『発酵』について、様々なアプローチのroomを立ち上げていますが、やはり『健康』がダントツに人が集まります。

健康だと下手すると500人近くになりますが、文化とか歴史、あるいは伝統の承継みたいな切り口にすると、いっても100人強というところです。

傾向としては、日常生活で家庭の中で、毎日の食事の用意を担当されている方は、『発酵食品は毎日使うもの』という前提、『毎日の食事の中でどう取り入れるか』というところに関心もありますし、『手軽においしくできる』ということだったり、『自分で作った方が家計的にも助かる』という方向に関心が高いと言いますか、そちらの方向に『発酵食品の価値』を感じる傾向があるようです。

一方、日常生活で食事担当ではない方の関心は『発酵食品を通じた文化』とか『微生物との対話』とか『麹を自分で育てる喜び』とか、そういう方向にご関心があるようです。

簡単に言えば『発酵食品は【家事】か【趣味】か』という話だと思います。


発酵食品は【家事】か【趣味】か


『カレー造り』と聞いて、まず『毎日の献立の中のもの』が思い浮かぶ『家事でカレーを造る人』は、『たくさん作り置きができる』『手間がいらなくて簡単』『子供たちがおいしく野菜を食べてくれる手段』『片付けが楽になればもっと最高』みたいなことを『カレー』に求めるでしょう。

一方、『時間のある日曜日に、オリジナルスパイスを20種類作った、THE俺のカレー』を『カレー造り』と聞いて思い浮かぶ『趣味でカレーを造る人』にとっては、むしろ、『手間』であること自体が価値になります。

スパイス20種類使いたい人は、そもそも『お手軽に作れる方法』は求めないでしょう。また、『栄養』だって重要な論点にはなりません。少なくとも、日曜日の朝から半日かけて煮込むモチベーションは、『野菜の栄養を気軽にとること』ではないだろうと思います。下手したらインドにスパイス買いに行くこともある人が、価格的なところも、大きな問題にはならないでしょう。

さて、これを発酵食品に置き換えて考えると、

『発酵食品を食べることが【家事の一部】の人』と、『発酵食品を食べることが【趣味の一部】の人』とでは、【家事】の人の方が圧倒的に多い印象です。

そして、【家事の人】と【趣味の人】とでは、当然ながら『健康』『機能性』への関心は、【家事の人】の方が、圧倒的に高いように実感しており、

【発酵食品を毎日の食事に取り入れること】と【健康/機能性】の相性の良さを、大きく感じるところです。

『発酵食品と関わることは、【家事の文脈】なのか?【趣味の文脈】なのか?』のテーマは、また別途記事にしたいと思います。


『発酵食品の医薬品化』におもうこと


私は、発酵食品を取り入れた食生活は健康にもよいものと信じています。そこに間違いはありません。

ただ、行き過ぎた『発酵食品の医薬品化』には、少し危惧するところもあります。一つは、最終的には『効果があるとされる物質を効率的に摂取すること』が目的になってしまい、『食べること自体が持つ、心豊かな楽しみ』が埋もれてしまいかねないこと。

発酵食品には、先述の通り様々なアプローチがあります。『健康』『機能性』はあくまで一側面であって、もっともっと、情緒的な価値、文化的な価値、あるいは、環境や地域資源問題など、健康以外の技術的価値にも、幅広い角度から、社会の関心を寄せていただきたいなと思う次第です。

あるいは、『発酵食品は、これこれ、こういう理屈で体によいです』という説明書きもよく見かけます。しっかりした学会や業界団体などを通じて公表されているエビデンスを元にし、適切に効用が書かれているものもある一方で、

中には、科学的に疑わしいもの、ともすれば、全く根拠がない、迷信に近いものが、さも科学的根拠を持つかのように説明されているものもないではないです。そういうものほど、華々しいこと、目新しいことが書いてあり、人目を引きがちなのも事実です。

例えば、味噌汁を低温でという説明がなされることもありますが、私は、味噌汁は温めて食べた方が絶対においしいと思います。

細かい理屈は上記の記事をご参照ください。

味噌汁が誕生して1000年近い歴史があるなかで、本当に「あたためすぎない、冷たい、ぬるい方が体にいい」のであれば、その飲み方が現代に残ってるはずだと思います。

現代はコンロのボタン押せば火が起きます。ですが、昔は『火をおこす』ことの労力、コストは大きかった訳です。薪を割って火打ち石をカチカチして。そして、そもそも常日頃から薪を確保しておかなければいけない。そんな状況で、高温にしない方、冷たいままの方が飲むことに合理的だったら、そっちが選ばれていたはずなんじゃないかと思います。

確かに『実は味噌汁は温めない方がよい』というのは、常識をひっくり返す目新しさはあります。

しかし、日本人が歴史と伝統で積み重ねてきた合理性が、新発見でひっくり返ることはないではないですが、一方で、歴史と伝統で積み重ねられたやり方というのは、それなりに合理的で堅牢なやり方だという信頼もあります。

このあたりの判断方法を深追いすることは、他のサイトや書物に譲りたいと思います。その上で、私が危惧するのは、発酵食品に過剰な期待が高まることにより、こういった『適切でない説明』が広まると、今度は、それが『適切でない』ということが一般消費者の方に広まったときが怖いです。

今の発酵ブーム、発酵食品への期待と信頼が高まっている分、期待や信頼を裏切るようなことが起きたら、今度は、その高さがある分、反動もまた大きなものになってしまわないかと危惧するところです。

これからも、適切な発信を心がけていきたいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。 私のプロフィールについては、詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.com/ymurai_koji/n/nc5a926632683