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企業のブランディングが、他者への理解力を奪ったのかも知れない
最近見かけたTweetより
Twitterで、こんなTweetを見かけました。
地元紙に、国語教育に関する鴻巣友季子さんへのインタビューが掲載されていました。
— 梅田 智弘 | 翻訳会社テクノ・プロ・ジャパン (@TU_TPJ) January 5, 2023
最近気になることとして、「共感型読書」が目立つことを挙げられていました。Twitterなどを見ていると (文芸作品に接したときに)「共感しかない」という言葉になるか、逆に「無理」と言って拒絶するかのどちらかで、
その間が少ないように感じると。共感はできなくても理解はしようという心の動きがあまり見受けられないと。
— 梅田 智弘 | 翻訳会社テクノ・プロ・ジャパン (@TU_TPJ) January 5, 2023
また、小説などの文芸作品を読む意味としては、「圧倒的他者と出会うこと」と。
最近の自分は圧倒的他者と出会うような読書をしていない (半分意識的に避けている) 自覚があって、ちと反省💦
元になった記事はこちらです。(有料)
有料記事なので、直接の引用は控えますが、鴻巣さんご自身が、下のような内容もTweetされています
「共感型読書」がSNS等に蔓延していることへの危惧も話しました。自分の似姿を探す読書。「自撮り読書」とも言われます。自分と似た立場、感覚、考えの作者や人物は「共感しかない」と全肯定し、自分から遠いそれらは「このひと無理」と全否定する。同類を抱擁し異類を排除する光景が並んでいます。
— 🐈🦔鴻巣友季子(『文学は予言する』新潮社) (@yukikonosu) January 7, 2023
さて、このような社会になった理由として、ふと思い当たることがありました。
ブランディングの基礎は共感
私自身、ブランディングについては、会社経営としても学んでいますし、実際に、自社に取り込んでもいますが、
ブランディングの基礎になるのは、自社のブランドに「共感」してもらうことです。共感してもらいたいターゲットを設定し、ペルソナを構築したり、あるいは、自社の強み弱みを整理し、ストーリーを組み立てたり、といった作業をしていきます。
「共感 ブランディング」で検索するだけで、本当にたくさんの記事が出てきます。
本当にたくさんの事例がありますが、ここでは、宣伝会議の記事のリンクを張っておきます。
そして、ブランディングの上手な企業は、本当に上手に、ターゲット層、そして、社会の「共感」を得ることに成功しています。
「自分が共感出来るものが周囲にあるのが当たり前」という環境
ですが、一方で、ブランディングが浸透する余り、我々一般消費者は、常に「ねえ?あなた、これに共感するでしょ?」と、目の前に共感するストーリーを上げ膳据え膳で提供されている状態に、どっぷり浸からされているとも言えるのではないでしょうか。
私は食品業界ですが、食品も、「顔の見える生産者」「なんとか農法に取り組むストーリー」など、「共感」を得るマーケティングが盛んです。
それは、洋服でも、例えばオーガニック素材への取組に共感したり、家財道具などでも「エシカル消費」と呼ばれたり、外食のレストランも「美味しさ」だけではなく、シェフや経営者の姿勢に「共感」することを選択基準に置いているし、また、事業者側も、それを前面に出すことによって「共感」を得ようとしている。
いつのまにか、私たちは、「自分が共感出来るものが周囲にあるのが当たり前」という環境になっているのかもしれません。
「共感出来る商品やサービスにしか出会わない社会」が来てるかも
共感マーケティング、共感ブランディングが、ここまで盛んになる前は、自分が共感出来るような商品やサービスに出会うことは、それほど多いことではなく、だからこそ、たまに「共感」出来る商品やサービスなどに出会うと、感動もひとしおだったわけです。
そして、「共感」出来ないなりに、商品やサービスを使いこなそうとしていた、使わざるを得なかった。使わざるを得ない中で、自分と商品やサービスとの距離感、折り合いを意識的にも、無意識的にも設定していた。
それが、近年、インターネットが普及し、SNSが発達し、様々な発信が出来るようになり、自分が「共感」出来る者だけ選んだ生活が出来るようになり、実際に、そういうライフスタイルが「自分らしさ」として称揚されるようになってきた。
さらには、その「自分らしさ」がたくさん集まることが「多様性」と呼ばれるようになっているとも言えるかも知れません。
ですが、「自分が共感出来る商品やサービスが溢れた世界」が進行して行くにつれ、その裏で、「自分が共感出来ないものを避け続けたまま、一生を終えることが出来るようになりつつある」とも言えるのだと思います。
それが、冒頭、鴻巣さんのTweetにある
「自分と似た立場、感覚、考えの作者や人物は「共感しかない」と全肯定し、自分から遠いそれらは「このひと無理」と全否定する。同類を抱擁し異類を排除する光景」
に、つながっているのかも知れないと、ふと、思い至りました。
ここで、ギリギリ関連しそうなことで、朝井リョウさんの小説「正欲」から、登場人物のある台詞を思い出したので、引用して終わりたいと思います。
「自分が想像できる” 多様性〟 だけ礼賛して秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」
「お前らが大好きな〝 多様性〟って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ」
「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱい ある。 そう思い知らされる言葉のはずだろ」
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