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留学で体験した今の仕事に影響してること

 今日は、発酵の話はお休みで、自分のことを書きます。プロフィールにもありましたが、留学で経験したこと。今の仕事のスタイルにも大きく影響しています。得られた知識とか、そういうことではないです。

 私は、20代の中盤、アリゾナ州にあるThunderbird国際経営大学院というところにMBA留学をしていました。今はアリゾナ州立大に統合されています。もう15年ほど前になるので、知識やフレームワーク的なことは、今では街角の本屋で売られてるようなことだったりして、陳腐化していたりしますが、考え方のアプローチ的なことは役立ってるかなと思います。

 その中でも、授業で学んだことではないことが、実は一番心に残っています。今日はそのお話。

ファイナンスのテストにて

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 入学して最初の学期、ファイナンスの最初の授業内テストがありました。まだ基礎理論を関数電卓で計算するぐらいのレベルのテストです。

 このテスト、事前にテスト問題は「こういう計算問題が出るよ」と、あらかたの予告はされていました。ただ、計算量のボリュームがかなり多く、まともにやったら時間内に計算が終わるかどうか。日本人同級生もいて、会計金融系キャリアの人は電卓叩き慣れていましたが、それでも、なかなか手強い分量。

 さて、Thunderbirdは世界各国から留学生を受け入れていて、国籍多様性が売りでした。私の在籍当時で出身国籍が80カ国以上に亘っていました。授業でもだと、「グループワークは『アジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカのうち3エリア以上のメンバーが入ること』」みたいな縛りがあったりするような大学です。

 とはいっても、入学して1ヶ月もたってないぐらいなので、まだ、国籍がミックスせず、出身国でのなんとなくのグループが出来てる状態。

 特に、我々、日本人や韓国人といった東洋系チームは、真面目に計算練習を行い、電卓の操作に習熟しようとし、授業外でもドリル的に計算に取り組んでいました。過去問を手に入れたり、他の参考書のプラクティスページの問題を解いたり。公文式アプローチに近い要領。私もそうでした。

 特に、入学して間もない頃の、最初の『テスト』、分量的にはタフなこともあり、やる気と緊張感と不安は、それなりにピークに達しているものでした。

 そして迎えたテスト当日

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 そして迎えたテスト当日です。準備万端整えてのテスト。スタートと同時に1秒も惜しんで計算に取り組みます。そして、テストが始まって10分ぐらいが過ぎた頃、アメリカ人学生が手を挙げ、訴えました。

 「テストの制限時間に対して分量が多い。これでは、ファイナンスの理論を理解しているかではなく、計算能力と電卓の操作能力のテストになっている。このクラスのメンバーは今日はこの授業が最後だから、テスト時間を無制限にして欲しい」と

 そして、教授は「OK、出来た人から退室で良い。」

 この瞬間、計算練習と電卓の習熟が無意味になりました。

 思いっきり気が抜けて周りを見渡すと、カンニングペーパー持ち込んでる学生、最初っからテスト中でも友達と相談し合う前提の学生、ホントに色々いて、『テストと言えば勉強して対策する物』という発想が、ガラガラと崩れるように感じました。

ここから学んだこと

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 この体験から学んだことがあります。「ルールを疑う」という態度。

 そして、これを入学前に身についている(というか、そういうなかで小さい頃から育ってきた)のが世界標準なんだという事実が、当日の自分には衝撃でした。

ルールを疑うということ

 「ルールを疑う」ということについて。これ以降、私は仕事でも「そもそも、今、このルール、この土俵で戦いを開始して良いのか?」「戦う前に、自分にとって有利なルールに変えることは出来ないのか?」「そもそも、この問題は解決する必要があるのか?やる必要をそもそも消せないか?」と、一旦考えてから、物事に取り組むようにしています。

 先の例で言えば「電卓の操作が慣れていなくて遅い」という問題があるとして、まず「問題があるから解決する=練習する」ではなく、「時間無制限にすれば、電卓が遅いということが、そもそも問題でさえなくなる」という発想を心掛けるようになりました。

 つまりは

1.まず、そもそも、この仕事をやる必要があるのか?そもそも仕事そのものを無くすことはできないか?

2.仕事をやる必要があるとして、今発想しているやり方で進んで良いのか?もっと上手なやり方はないのか?

 を、検討し、仕事の構造ややり方、枠組みを変えて対処した方が良い結果に繋がるなら、枠組みを変えて取り組む。「それでもこの仕事はやる必要があるし、このやり方しかない」という判断が付いてから、仕事に着手するのが基本的な仕事のスタイルになっています。

このスタイルの弱点 

 ただ、これには弱点があります。検討してから動くので、「どうしても初動が遅れがちになる」ことです。「解く問題も、解くやり方も、はっきり定石が決まってて、変えようがない。あとはそれを如何に早く着手するかが勝負の分かれ目」みたいな状況だと、出遅れの弊害が顕著に出ます。部下だった場合、人事評価としては、「グズグズしてて動かない」「頭でっかち」みたいなことになりがちなスタイルだとも思います。

 ただ、多少出遅れても、やり方が正しければ、追い越せるとも思っています。先に「あのバスに乗り遅れるな!」と一目散にバスに向かってスタートした人たちに対して、「タクシー乗り場でタクシー拾った方が早いし、料金も実は変わらない。」と、あとからバスを追い越せるケースの方が多かったり、「そもそも電話かWeb会議でいいんじゃない?」と、みんながバスで出発したあとに電話をして、バスが着く前に用件が済んでるようなケースの方が、体感としては多いように感じています。

  ただ、みんなが駅を降りて東口のバスに向かってるときに、「西口行ったらもっと早い手段があるかもしれない」と、駅の案内標識をキョロキョロ探すわけですから、「あいつ何やってるんだ」となる可能性は高いです。

 もちろん、常にのんびりなわけではないです。一旦、「こういうやり方の方が早い」と結論が得られたら、あとは、そのやり方で一気呵成に動きます。

 「バスじゃなくてタクシーの方が早い」と結論が得られた段階で、タクシー売場には全力猛ダッシュなイメージ。なので、周囲からすると「いきなり唐突に仕事が始まった」みたいな見え方もしがちです。

 このスタイルに弱点がないわけじゃないですが、「今までのやり方が通用しない」「新しい発想で取り組む」という時代の中小企業として、少ない資源でいかに効率的に戦うかという時代には合っているのかなと個人的には思います。また、発酵という比較的事業のタイムスパンが長い業界だからやれるとも思っています。ITとか金融とかだと、多分、遅い。


「自分は、あの時の電卓練習に飛びついてるだけじゃないか?」 

 つまりは、「努力することは必要だけど、努力のしどころをまず見極める。」とも言えるでしょうか。何かに取り組むとき、「自分は、あの時の電卓練習に飛びついてるだけじゃないか?」ということが、いつも、恐怖としてつきまとうというと大げさですが、心には浮かびます。

 結局、留学して、異文化と触れ合って、15年たって、何が一番仕事に影響を与えたかというと、この経験につきてしまうなと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。 私のプロフィールについては、詳しくはこちらをご覧ください。 https://note.com/ymurai_koji/n/nc5a926632683