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役者を諦めた社会人1年目の私へ


まず最初に言いたいんだけど、君はそんなにすごくない。

わかってる。わかってることだと思う。なぜなら君は、1年後には自分の力不足を悩み続け、しまいには立ち上がれなくなり、食べ物もすべて吐き、その会社を辞めるのだから。


大学を卒業したとき、君は就職先が決まっていなかったね。

それは、「就職をしたくない」と思っていたからだった。

岩手で生まれた君は、役者に憧れ関東を目指した。
家は貧乏で、関東に出るためには国公立大学に入り、奨学金をもらって独立生計を立てることが必須条件だった。

受験1年目は大学受験に向かう新幹線の中で被災したり、2年目は予備校のお金を稼ごうとして人生で初めて挑んだマックのバイトの面接を落ちたり。でもそんなことは些細なことだ。だって僕は希望で満ち溢れていたから。

僕は関東の国公立大学に無事入学した。

これで役者になれる。

地元では僕が役者になりたいことはみんな知っていて、「ともこならなれるよ。」「頭が良いから。」「すごい夢だね。」と、みんな言ってくれた。

だからなれる。もう役者になったのだ。

話は逸れますが、皆さんは役者になる条件って何だと思いますか。
郵便局に就職したらそれは郵便局員だし、サッカーでお金を稼ぎだしたらサッカー選手かなって僕は思います。
でも、役者はどんなに子供でもなれるし、文化祭でだってできるし、どんなに歳をとってもお金を稼げない人がいます。
僕は、役者は「名乗った瞬間に」なれるものだと思います。資格もいらないし、まず「稼ぐ」という概念がおぼろげ。劇団に所属してもうんともすんとも稼げないこともあるし、それどころかチケットノルマがあったり稽古に向かう交通費代、稽古場代、お付き合いで飲んだり、それでいてひたすら時間もかかる。
テレビや映画に出ている「プロ」でもくだらない演技しかできないやつはゴロゴロいるし、「アマ」でも目を見張るような演技で観客の心をさらっていく人もいる。監督にとっていい役者、観客にとっていい役者、共演者にとっていい役者はそれぞれ違う。
そんなわけで、役者はもう名乗ったときから役者でいいと思います。……話が逸れ過ぎましたね。戻ります。

そんなわけで、僕は大学の演劇サークルに入った。僕が演技が上手いことは地元の皆は知ってくれているし、すぐに有名になるだろうと思った。

しかしすぐに気づく。

みんな役者になりたいらしい。

おかしい。こんなに役者になりたい人が?

僕は演技に自信があったが、容姿に自信はなかった。
ヒロインは棒読みの上手なかわいい女の子が毎回務めた。
僕は大道具もできたのだが、大道具をやりたい人はまったくもっていなかったから、大道具担当で引っ張りだこになった。

――ああ、こんなこと書いてる場合じゃない。そろそろ大学を卒業しないと。

僕は大学内での役者活動を諦め、養成所にダブルスクールで通うことになった。もともと大学に通う奨学金で600万円借りていたが、さらに100万円ここで借金した。

養成所内でも若くてかわいい子やかっこいい子がわんさかいたが、演技についてはそこそこ評価されていた。
全国からオーディションを勝ち上がって入った人たちの中で評価されていたので、卒業時のオーディションでいい事務所に入れる自信があった。
その活動が忙しく、そもそも「スーツはこの色じゃなきゃダメ」「髪は黒」「パンプスヒールで」と意味の分からん条件ばかり付きつけられる就職活動なんて、する意味も分からなかった。そんな会社死んでもいくか。くだらねえ。

結果から言うと、私は大学を卒業し、しばらく面接などを受け続け、しがない小さなエキストラ事務所に入った。一握に入れたかと聞かれると、そうではなかった。同期の子はテニミュで手塚になった。

映画でジャニーズの真向かいに立ったり、トリンドルちゃんの奥で歩いたり、洋服のパターンモデルになったり、パーティーのシーンで手をたたいたりした。
当然生計なんてそれで立てられるわけはなくて、夜勤のバイトを週5日間入れた。夜勤に出てから撮影の集合場所に行き、12時間拘束された後に3秒間の通行人役を終え、家に帰って寝て、また夜勤に向かう。
借金は返し始めなくてはいけなくて、家賃や携帯電話の支払いが数カ月も遅れた。夜勤のない日はガールズバーでアルバイトを始めた。
事務所内で何度かワークショップやオーディションがあったが、毎回1位だった。意味が分からなかった。なぜ1位なのに仕事のグレードが上がらないんだろう。

この時点で僕は生きていくことで頭がいっぱいで、全く余裕がなかった。

人はお金がないと、心にも余裕がなくなり、常に錯乱状態になる。
身体を触られたり求められたり、何の得もないのにデートしたり。とにかく不快だった。紙きれのようになって、河原で草を食べて生きてもお金が足りない事実に絶望していた。


社会人っていったい何のことだ。

会社人ならわかる。会社に勤めている人のことだろうよ。

しかし、社会人って。

この時の僕は、社会には出ていたが、やっていることはアルバイトだったし、世間的に言う社会人ではなかった。

僕は、夜勤を辞めた。ガールズバーもやめた。
そして、事務所も辞めた。

ここには人との出会いがあったからだ。
そんなの良くないよと言ってくれる人がいた。
しかし僕がそうであるように、基本的に人は皆自分のことで精いっぱいである。これは当たり前のことだ。それなのに他人のことを考え口を出してくれる友人がいる。一生大切にしていくべき宝物だと思う。

そしてようやっと、「就職先を」探し始めたのだ。

僕には資格がなかった。(今もない)
もちろん大学卒業から2年程たっていたから新卒じゃないし、役者をやっていたせいで経験もない。演劇は10年やっていたが、正直この時点ではメディア業界にうんざりしていた。そちらの方面で就職するつもりもなかった。

就職活動は初めてだったが、履歴書を書いて面接、履歴書を書いて面接、お昼のアルバイトをしながら続けた。
圧迫面接も初めて経験した。「出ていっていいですよ」と言われ、正直マジで出ていこうと思った。ボロッカスに泣かされた。クソが。出ていかなかったのはえらい。両者ともに時間の無駄だった。

そんな中、とあるベンチャー企業で面接がトントン拍子に進んでいった。
最終面接のあと、よろしくお願いしますと言われ、紆余曲折あって本部採用から支店長に変更になった。

まあ……。この紆余曲折あって支店長に変更になったのがまずおかしいんだけど。
研修期間は13日。試験を1発で合格し引継ぎのない状態で社員一人、たった一人の支店長になった。(フランチャイズなのよ。)


ここから社会人一年目がスタートする。

読んでくださっている方は、既に「ん???」と思っていらっしゃるかもしれない。

思ってない方は危ないからここからちゃんと読んでほしい。

社会人一年目で、経験も何もないやつが、研修期間2週間で、唯一の社員になり引継ぎなしで支店長を任されるなんて場合は、まず社長の頭がおかしいから、入社すべきでない。

えっ……もうこれは自明のことなのだが、その時の僕は気が付かなかった。

たぶんアホなんだと思う。

とにかく僕は「他人から必要とされること」にめっぽう弱く、それから臨機応変であったので、スタートとして対応できてしまった。

就職活動をしているときの条件とは明らかに違うことがいくつもあったが、
例)ボーナスがない、休みがない、上司がいない、時間が伸びたetc.
何より借金をしっかり返せることに対する安堵感が大きかった。親に迷惑をかけずに生きていける。携帯電話が止まることは少なくなっていったし、返済を要請する電話が鳴りやんだ。

仕事内容としては、お客さんを集めるための広報活動、営業、事務、アルバイトの採用、育成、お客さんの対応など。すべて一人で行った。なぜなら自分は支店長であり、唯一の社員であったから。

詳しくはかけないが、夏には1カ月の勤務時間が200時間を超えた。

僕はまた、目が回っていた。

初めてのことであると同時に背負わなきゃいけない責任も大きく、自分の採用したアルバイトとの関係やお客さんへの対応で常に悩んでいた。

夜は0時に家に着き、ダラダラしたのち4時に寝、なかなか起きられず12時にバタバタと動きお昼から出勤する。
休日は1週間に1日だった。家にいてもやらなきゃいけない業務があって、趣味という概念を忘れた。

そうして僕は、体と心を壊した。


まず、起きられなくなった。仕事に行くのが遅くなり、迷惑をかけてしまう自分を責め、仕事中は頭が朦朧とし今何をしているのか度々分からなくなった。仕事が終わるとぐったりとし今度は家に帰る体力がない。やっとうちに帰ると、今度は不安で眠れなくなった。

食べ物を食べると吐き気が続き、電車で具合を崩し、何度もお手洗いに駆け込んだ。途中下車を繰り返し当然さらに会社に遅れ、さらに自分を責めた。
食べ物を食べると吐き気を催すので、食べるのをやめた。

仕事はどんどん忙しくなっていった。

僕は、唯一の社員なので、仕事を休んだことが無かった。

休み方も知らなかった。

当然辞めることなんて、許されないと思った。

他の支店長さんに相談して沢山話を聞いて、皆ができているのになぜ自分は出来ないんだろう、こんなことで病んでしまうなんて本当に弱いな、使えない人間だな、辞められないならこの電車に飛び込んでしまったら楽になるかな、と毎日考えていた。

僕のベッドの横に、鉄パイプが一本ついている。そこに縄を括り付けて、窓から飛べば首をつれる。

職場は7階だから、いつでも飛び降りることが出来る。

そんな、「いつでも死ねる」という状況を確認しては、安心していた。


結果的に、僕は会社を辞めた。

病院で適応障害とうつ病だと診断され、その後も数カ月頑張ったが、結局身体が持たず、ドロップアウトという形で退職した。

今は療養期間だが、やっと過去に起きたことが整理でき始めたのでこれを書いている。

ここまで読んだ方は社長がどんな悪人だろうと思うかもしれないが、正直社長はとてもいい人だ。そしてその環境でも、たくましくやっていける人は存在する。それが良いとか、悪いとかの話ではなく、人間の特性の話なのだと思う。得意不得意だ。
ただ僕は、人の感情や空気にとても敏感で、ちょっと人より考えすぎるタイプなのだ。

僕は田舎から東京に出てきて、自分がすごい才能を持っていると思い込んでいた。そんなことはないということがわかって、どこかで自己肯定感がぐっと下がってしまった。今度は自分はダメだ自分はダメだと言い聞かせ、人から求められると断れず、なんでも与えようとした。

僕はそんなにすごくない。

でも、それが良いとか悪いとかじゃないんだ。

それでいいんだよ。そんな、最初っから人の上に立つことなんて、出来るもんじゃないんだから、無理しなくていいんだよ。

ありのままを肯定すること。みんな言ってるけど、頭では理解できるんだけど、それを実行に移すのってとても難しい。

社会人1年目の私へ

君はそんなにすごくない。

それでいいじゃんか。


これでいいじゃん。ね。

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