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おもろない話は泥棒のはじまり

話のオチをつけねば、という強迫観念が抜けない。
大阪の、なかでも特に治安の悪い地域で育った。
中学の頃から「おもろない話」をしてしまった後に浴びせられる「で?」を何より恐れている。20年くらい怯え続けている。

金属バットのネタに「面白い話」というネタがある。
小林が「めっちゃおもろいことがあって〜」の出だしで「スクランブルエッグを焼こうとしたが焦がしてしまった」という何の面白みもない状況説明をする。それがあまりに面白くないので、友保は「ほんまに小林か?」と疑い大喜利を仕掛ける。という運び。

おもろない話をする小林に対して、友保から「オカンと話してるかとおもたわとのツッコミがあるが、そのツッコミにさえドキドキする。
ここで言うオカンとは「おもろない話をダラダラする人」である。

おもろない話は泥棒の始まりである。
おもろない話を聞かせて相手の時間を奪う。
"損"に敏感な大阪人は、おもろない話によって時間を奪った窃盗犯を
「で?(殺意)」と言う言葉で罰するのだ。
おもろない私は泥棒で、その罰に怯えています。
(※オカンはオカンなので、おもろない話をしてもギリギリ許される存在)

私は素直で純朴であり、同時に泥棒である。
それもこれも、大阪人にあるまじき「冗談が通じない」という特性を持って彼の地に生まれてしまったせいだ。

18歳で逃げるように東京に出てきた。
大学にはいろんな土地から出てきた人間がいたが、関西の人は少なかった。
「で?(殺意)」で罰されることはなくなり、東京弁もすぐ耳に慣れた。

ただし、電車内やマクドナルドで漏れ聞こえてくる話に笑いを堪えることも少なくなった。

大阪では老若男女、人が2人以上集まるとおもろデュエルを始める。電車であれマクドであれ。
かつて友人知人に仕掛けられるおもろデュエルには腹を見せて屈服し、ありがたくおもろを享受していた。他人のおもろデュエルは盗み聞きしていた。

「で?」で罰せられることはなくなったが、ラッキーおもろもなくなった。安心すると同時に、少しの物足りなさも感じる。彼の地のおもろ or dieはハイリスク・ハイリターンな文化である。

たまに大阪に帰り家族や友達に会うと、全員、1人残らず、多かれ少なかれ必ずウケを狙ってくることに驚く。なにせ戦地に何十年もいるのだ。タフに決まってる。笑かすことで相手の時間に対するリスペクトを表す。

変な文化。


でもそこに馴染める人間が羨ましくて仕方ない。

私は泥棒であり脱走兵だが、その戦地を遠くから、行け、やったれ!と観戦し続ける。誰からもオチを求められない場所から。

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